見る・遊ぶ

見る・遊ぶ

開かずの「豊頌軒」やっとかめ
小栗宏子さんが趣向の師走釜
ウイズコロナ下の大寄せに工夫

IMG_8844.JPG

 「豊頌軒」やっとかめ。コロナ禍が始まって以来閉ざされていた名古屋市中村区の中村公園内の小間茶席「豊頌軒(ほうしょうけん)」。2年10か月ぶりに使用が再開され、お茶の生気が吹き込まれました。2022年12月18日開かれた豊国神社献茶会の月釜です。

 折りからの寒波襲来の中、客を寒風にさらさない、一箇所に滞留させない、などの工夫を凝らして、ウイズコロナ下での大寄せ茶会において、どう小間茶室を使ったらいいのか。席主の表千家の小栗宏子さんは歳末の風情を凝らした心入れとともに、一つの答えを出しました。

IMG_8854.JPG

 中村公園豊頌軒は、豊臣秀吉、加藤清正ゆかり地である中村公園のほぼ中心に位置し、瓢箪池と競輪場の間に建つ、簡素ながら洗練された意匠の茶室です。明治初期に表千家11代家元碌々斎の好みの茶室として、現在の愛知県稲沢市祖父江町の資産家渡辺邸に建てられたと伝えられます。中村公園内への移築は1957年に実現し、1982年に豊国神社献茶から寄付を受けて、名古屋市所有の建物となり、市の登録有形文化財となっています。

 木造平屋建、桟瓦葺の切妻屋根で、銅板葺の庇が深く張り出す外観。4畳半台目、出炉で本勝手で、コロナ禍前は一席ごとお客は10人余が押し合いへし合いで入っていましたが、2020年2月の茶会を最後に「三密」の小間席は大寄せでは使えなくなり、やっと再開した月釜も広間席の桐蔭席と、書院建築の記念館のみ。侘び茶にうってつけの豊頌軒は人数制限が厳しく、開かずの間になっていました。

IMG_8835.JPG 一方で、相当傷んでいた壁は新たに塗り直され、障子紙も改められ、この日、茶席再開にこぎつけました。当初、広間席で釜を懸ける予定だった小栗さんですが、名古屋市側からの使用再開の要請に応えて、小間での茶会再開に踏み切りました。

IMG_8829.JPG
 お客を分散させる工夫をしました。従来、豊頌軒の寄付は同じ建物内の2畳台目の小部屋だったのを、別棟の桐蔭席に変更。土間席での展観道具、書き付けのある箱を拝見した後、客10人ごとに桐蔭席の座敷に通されて白湯をいただくうちに、本席への案内を待つ、そんな工夫です。

IMG_8827.JPG

 寄付の軸は、堀内不仙斎筆の、居ながらに厄を払うは事始の句に賛した「舟引画賛」。京都・大阪を流れる淀川で、人夫が舟を引く画題です。堀内長生庵歴代は好んで舟引の絵を描きますが、本作は山崎あたりから淀川の向こうに石清水八幡宮が鎮座する男山までの雄大な景色を描写。絵から、近代の干拓事業で失われた京阪間の巨大な遊水池、巨椋池の往時が、浮かび上がります。白湯をいただいた座敷には「無事」の一行がかかり、異例なことに薄紅の椿とウコンの枝が投げ入れてありました。半枯れの青竹の花入は超レアもの。亭主の心意気が奮っています。

IMG_8833.JPG

「白湯の間から、常以上の心入れ。にこんな飾り付けをして、本席はどんな趣向が待っているのだろう」とワクワク感が高まります。

IMG_8834.JPG

 以前よりさっぱりと手入れが行き届いた庭を飛石伝いに行くと、よく通った豊頌軒が新鮮に感じられました。従来は冬場、客は土間ひさし下で寒風に震えながら順番を待たざるを得ませんでしたが、待つほどしばし、前の席が客が退出。スムーズな流れです。出入りを一方通行にし、履物の着脱、手荷物、外套の置きようも便利に修正。随所に心配りを感じました。
 2箇所に分かれてスタッフを増員配置、連係プレー、さらに3箇所に飾るお道具の連動が欠かせませんが、そこは名古屋の表千家茶人のうちで今、最も脂がのっている一人で、祖父から3代にわたる茶器収集で鳴らす小栗さん。コロナ禍でいかに大寄せ茶会をスムーズに運ぶか、多くの経験と失敗の中から掴んだアイデアではないか、と推察しました。

IMG_8838.JPG

 さて、本席の掛け軸は、堀内仙鶴筆の「寒夜鉢敲(はちたたき)絵賛」。時宗の念仏衆が空也上人の遺風と称して、鉦(かね)をならし、あるいは瓢(ふくべ)を竹の枝でたたきながら、念仏、和讚を唱えて洛中を托鉢する都の風物詩です。表千家宗匠好みものの「稲塚」の竹花入に、蝋梅の黄葉が印象的な蝋梅と白玉椿を添えて、茶花に動きを表現してありました。

 白湯の間の茶花について、小栗さんは「私の懸け釜にわせて、出入りの茶道具屋さんが珍しい半枯れの青竹花入を贈ってくれたので」とのこと。亭主を裏で支える道具商の厚意にこたえた席飾りだったと分かり、両者の気遣いに心温まる思いがしました。

IMG_8847.JPGIMG_8846.JPG

 茶道では、12月を「送り干支」といい、今年の干支のものを使って年の名残を惜しむ趣向があります。それを踏まえて、瀬戸染付の磁祖とされる民吉製の寅香合を席に飾り、新年の干支、兎が描かれた茶碗を末客に出す、干支の引き継ぎを意識したエスプリも効いて、芸なんとこまやかなこと。

 朝鮮出兵で駆り出された戦国武将の多くが、虎狩りを行っていたといわれてますが、中でも加藤清正の虎退治は有名です。寅が描かれた香合に呼応するように、築城の名人だった清正が普請を手掛けた名古屋城に手植えした松の古材を以て造られた炉縁を使ったのです。
 豊国神社献茶会では、太閤秀吉の生誕地ということで、秀吉を意識した茶道具なりを配するの不文律となっていますが、常連の席主の多くが世帯交代する中、その不文律が昨今失われてるようです。ところが、小栗さんは太閤秀吉一辺倒だった献茶会の趣向に、もう一人の郷土の豪傑、加藤清正をクローズアップしたのです。新鮮でした。ゆかりの地の記憶を呼び起こす。時空を超えて茶道具が喚起する取り合わせが、小さな空間の茶席に大きな物語を生みます。

空也上人の遺風を慕って行われたという寒空の托鉢行も、上人没後1050年の節目の今年は、特別な感慨があります。

IMG_8841.JPG

IMG_8826.JPG

 同日開催のもう一席、裏千家、西山宗公さんが急きょ登板した記念館の薄茶席の模様は後日掲載します。

sabiejapan.com