見る・遊ぶ

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田舎家濃茶席 名品尽くし
志野流松隠軒が熱田神宮月釜
重厚に伝来品取り合わせ

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 茶どころ名古屋の月釜を代表する熱田神宮の月次茶会は、濃茶と薄茶の2席が趣向を競います。コロナ禍第5波の影響で2021年は9月、10月が中止となり、11月15日に7月以来、4カ月ぶりに再開されました。

 濃茶席は志野流松隠軒(蜂谷宗玄氏)です。会場は、入母屋造り茅葺の田舎家茶室「又兵衛」。戦前、財界人茶人の間で流行した野趣ゆたかな遺構です。もと岐阜県飛騨地方の合掌造りの民家。国の有形登録文化財です。
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 感染症対策のため、寄付は別棟の「六友軒」。寄付掛けは、復古大和絵の絵師宇喜多一恵斎の「大井川紅葉の図」。大井川(大堰川)とは京都・嵐山の渡月橋あたりを流れる桂川をいい、王朝時代、歴代天皇は度々行幸し、春秋には舟遊びを行っていました。この日は紅葉狩の図です。

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 飾られた香合は、開炉にふさわしい総織部の分銅。展観された炭道具は時代の藤組の炭斗、南蛮瓶蓋の灰器、白鳥の羽箒、空打ちの火箸、銀象嵌大角豆釜鐶で、又兵衛での濃茶にふさわしい侘びた本格派ばかりです。近衛家伝来の瀬戸肩衝茶入、銘「黄なだれ」。高麗茶碗の錐呉器が珍しく、銘「柴垣」の通り、猫が爪で引っ掻いたような裾の景色を柴垣に見立てたものなのでしょう。毛利家伝来、錐呉器の優品です。

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 本席の床には、江月宗玩(1574~1643年)筆の「一休」の掛け軸。江月は安土・桃山時代の当時有数の豪商・天王寺屋津田宗及の次男として生まれ、春屋宗園の法嗣(教えの後継)となった方です。学問、風流の才も持ち合わせ、寛永文化の中心人物です。この軸は、大徳寺開山の大燈国師に対する一休禅師筆の偈頌(げじゅ)で利休好みの表具を施したものを、江月が模写したという珍品です。大燈、一休、利休、江月といわゆる茶掛で珍重される「大徳寺もの」の大立者の名がずらり一幅の中に列記されております。お茶会"一休み"明けの本茶会にはうってつけと拝見しました。鈍翁の愛妾で茶人の益田紫明庵旧蔵です。

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 黒光りする板床には、信楽旅枕の花入に咲き初めた太郎庵椿、照り葉が投げ入れられておりました。太郎庵椿の原木は、熱田神宮別宮境内にあり、樹齢300年を越える淡紅の花をつけるやぶ椿の一種で、江戸中期、熱田近くの古渡に住む高田太郎庵という茶人が、愛好したことでこの名があります。
旅枕の花入は、千宗旦書付、万仞和尚の箱書。水指は蜂谷宗匠お気に入りの古伊賀の耳付き。織部好みの力強くどこかひょうけた造形、ビードロ釉、焦げ、火色とも申し分なく、正面に鉄釉をちょろっと掛け、胴にヘラがきを回して作意横溢の桃山陶です。伊勢芦屋の肩衝形の釜は、武将好みのキリッとした造形で、水仙地文が初冬の風情を醸します。宗匠に代わって夫人なをみ氏が席主を務めてました。

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 田舎家茶室での濃茶という難しい趣向を、蜂谷宗匠は侘び茶本流の名品づくしの重厚な取り合わせで真っ向勝負して、凱歌を上げました。選び抜かれた茶道具それ自体が持つ力の強さを示した一会でした。

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 もう一席の裏千家淡交会愛知第三支部常任会の薄茶席は後日掲載します。