見る・遊ぶ

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「中置 」名残りの茶趣競う
再開の豊国月釜
志野流蜂谷なをみ氏、庄司宗文氏&垣内茂希氏

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 コロナ禍第4・第5波で半年間中断していた豊国神社献茶会の月釜が再開し、2021年10月17日、名古屋・中村公園内の公共茶室2会場で開かれました。にわかに秋めいたこの日、両席は風炉の名残りを惜しむ「中置」の茶趣の競演となりました。

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 大正天皇ゆかりの記念館での薄茶は志野流蜂谷なをみ氏が担当。室町時代から続く香道志野流は茶道との両道。渡辺始興が烏瓜を描いた瀟洒な画幅が掛かる寄付には、この時季にぴったりの菊花研ぎ出し蒔絵の棗が存在感を放っていました。江戸末期の松江藩御用達の伝説的な塗師、 勝軍木庵光英 (ぬるであん みつひで、1802〜1871年 )の精作です。作品数は極端に少なく、記者が茶会で出合ったのは松江での某記念茶会の展観席以来。驚きました。器の底に「英」の彫名があり、「勝軍木庵」の号を授けた藩主松平斉貴の箱書が添っている超レアの逸品です。

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 茶杓は志野流香道18代頑魯庵宗致の銘「やれ窓」。虫が喰った竹の穴が大きく空いた異形の茶杓ですが、やつれの季節には嬉しいもの。主茶碗は唐人笛風の杉なりの御本。銘「神楽笛」が豊国神社に呼応します。

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 香道家元らしく、香合の代わりに香袋に菊花の造花を挿した「指枝袋」が脇床に飾ってありました。
期待を胸に本席に入ると、床の間の堂々たる一行「聖朝無棄物」(せいちょうにきぶつなし)。大徳寺天室和尚の名筆です。「聖人のおさめる世にはすたる物はない」との意だそうです。
唐物写の格調高い手付きの籠に、秋の花々が9種、バランスよく入れられており、軸と花が映りあっておりました。

 鉄欠け風炉に五郎左衛門の肩衝霰釜を据えた「中置」の構えです。敷瓦がふるっていました。エメラルドグリーンの交趾焼です。名古屋の数寄者某氏が「益田鈍翁の掃雲台のベランダ手すりに使われていた物を、敷瓦に転用した」と自慢していたのと同じ手と拝見しました。

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 記念館は近年の改修後は炉が電熱式に制限されているため、灰はなし。妻なをみ氏とともに茶席に久々に顔を見せた蜂谷宗玄家元。「茶会を電熱でやるのは初めて。風炉に釜をのせただけです」と、欠け風炉の見どころの灰形を作れなかったのを残念がっておりました。

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 席中の主茶碗は、白黒の市松模様がくっきり出た織部沓。流行りの鬼滅の刃の主人公が羽織る市松模様もかくやのモダンな絵柄。なんとも贅沢な薄茶です。

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 かたや広間茶室「桐蔭」席主は、献茶会事務局が急きょ担当しました。予定していた席主が降板したため、献茶会会長の裏千家庄司宗文氏を事務局の道具商垣内茂希氏が補佐して、再開茶会を勤めました。

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 能・狂言、神社ものに強い庄司氏は、茶会のテーマを能「三輪」に据えて室礼。奈良・三輪山にまつわる神々の物語に添って、伊勢門水の能絵に始まり、和菓子のルーツとされる菓祖神『田島間守』の銘が付いた主菓子など、神代のイメージが次々展開します。庄司宗匠手ずからのお点前で、軽妙な会話を交えて茶会は進みました。

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 しかし、実際の茶器は江戸後期から裏千家が名古屋に根を張った時代の茶人たち「知止斎」「玄々斎」「又日菴」「玄中」たちのものが基調であり、それ自体いずれも見どころのある貴重な茶器でしたが、総体的に神代の物語としっくしないのではないか、と受け止めたのは私だけでしょうか。茶会の切り口、取り合わせの難しいところです。

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 ともあれ、秋の千草を入れたくなるところを、貴船菊一種で名残りの風情を醸したり、中置の点前座を洋上に浮かぶ富士山に見立てたり、と流石の手腕です。
 図らずも実現した茶どころ名古屋をリードする両宗匠の競演。訪れた茶客はたっぷりお茶を堪能したはずです。
 次回は11月21日。当日券あり。