見る・遊ぶ

見る・遊ぶ

柴田祐介氏、入魂の初陣
「金城茶会」で月釜デビュー
名古屋の故事紡ぐ道具組み
大相撲触れ太鼓も祝う

IMG_6317.JPG

 茶どころ名古屋の次代を担うと期待される宗山柴田祐介氏が2021年7月4日、名古屋城茶席「書院席」で開かれた金城茶会で席主デビューし、当地の歴史由緒に思いをはせた入念な茶趣で初陣を飾りました。城内の施設で初日を迎えた大相撲名古屋場所の触れ太鼓も聞こえ、柴田氏の月釜デビューを祝っているようでした。

IMG_6298.JPG

 会場は天守閣を南に望む御深井丸の茶席。梅雨どきの蒸し暑い日でしたが、雅客は引もきらず。寄り付きは、苔の緑も鮮やかな茶苑にたたずむ茶席「又隠」。床の間には江戸後期の画人・森高雅筆の家康像「東照神君御鎮護尊影」図。名古屋城の縄張りをした徳川家康像を寄り付きに掛けるとは、何やら大きな物語の展開が暗示され、月並みではありません。初陣の茶略やいかに、と待つうちに、席入りの声がかかりました。

IMG_6302.JPG

 雨に濡れて滑りやすい踏石を恐る恐る進み、書院へ。

 感染症対策のため、書院12畳と次の間6畳を開け放ち、18畳の一室空間とし、客座は間隔をとっても15人が座れる仕様です。障子、ふすま、ガラス戸を全て開け放って、通風を図りますが、蒸し暑さは如何ともしがたく、亭主、客とも汗みずくです。

IMG_6307.JPG

 床の間に驚かされました。名古屋を代表する茶人、森川如春庵筆の双幅「諸悪莫作」「衆善奉行」。茶席の由来を知らなければ唐突感がありますが、如春庵こそ、この席にふさわしいのです。名古屋城の茶席は、天守閣、本丸御殿など国宝、重文級の建物が戦災であらかた焼失した城内に、1949(昭和24)年に建設、作庭されました。焼け野原となった名古屋の終戦後、茶どころ復興の魁となった快挙であり、その先頭に立ったのが森川如春庵でした。茶苑に点在する茶席群は、その由緒、来歴を調べると、実は全て如春庵が今は亡き茶友たちへのオマージュを込めて移築、復興したものです。
 特に書院は、如春庵の本邸、愛知県一宮市の苅安賀の森川家住宅の意匠設計を導入したもので、如春庵の美意識が色濃く投影された建築です。その床の間に、あたかも如春庵本人がどっしり座るが如き墨跡が掛かっていて、席主の思い入れが感じ取れます。

 如春庵は書もよくし、掛け軸になったものが稀に見かけますが、この双幅は書が生動してまさに墨痕淋漓(ぼっこんりんり)たる名筆です。如春庵の茶境を知る書であると拝見しました。


 香合は名古屋城天守閣古材。底に「吟斎」の印、「天守閣古材」の焼印が入り、内部は金漆塗り。近代の修繕で出た古材をもって指物師駒井吟斎に作らせたものでしょう。同手では最上の一つとみられます。

 点前座に目を転じると、3本の乳足が長い朝鮮風炉では珍しい鉄風炉を支える黄瀬戸の敷瓦が、目をひきました。会記だと「定光寺磚手」。1652年に建立された定光寺の尾張徳川家(義直)廟堂の床に敷き詰められ磚(敷瓦)は、国産タイルの源流の一つと目され、名古屋では織部焼の寸松庵花壇縁瓦と並んで、茶人垂涎の敷瓦です。一説には本歌は唐草模様の一種を呉須塗りの沈紋とした磚とされ、これに対してこの席で使われた敷瓦は唐草模様の黄瀬戸であり、「定光寺磚手」かは即断はできません。ただ、江戸時代の古作敷瓦であることは明らかであります。この自慢の敷瓦を目立たせるため、腰高の鉄風炉を使ったのは効果的でした。
 同門の先輩、山口浩章氏の点前は端然、所作が美しく、暑気を払うものでした。

IMG_6319.JPG

IMG_6300.JPG

 

 茶碗のラインアップが奮っています。通常はせいぜい2碗目、3碗目までしか会記には載せませんが、なんと9番目まで記載。まるで野球の打順のようです。詳しくは、会記を見てもらたいのですが。名古屋の裏千家名門茶家、神谷柏露軒の門人らしく、柏露軒ゆかりの志野焼馬盥を一番手に、本日の茶花の一つ撫子を詠んだ歌銘茶碗を二番手に、以下、地元名古屋の焼物がずらり。中でも、珍品は尾張家が殿中奥向き一般に用いた「御小納戸(おこなんど)茶椀」です。城内では普段使いだったためか、伝世品が少ない茶碗です。同じ尾張家の殿中茶椀でも、雅味にとむ柳茶碗は後世模作されましたが、「小」の一字のぶっきらぼうの御小納戸茶椀はさらに残っているものが少なく、柴田氏の名古屋ものの茶碗収集にかける執心、こつこつよくぞ集めたと感心させられました。

IMG_6313.JPG

 このほか、鵜のくちばし跡(歯形)がついた天然鮎の献上盆に、鮎に見立てたちまき風の和菓子「笹鮎」は、長良川の「御料鵜飼」を想起させ、「知止斎好み木地煙草盆」が名古屋に裏千家流茶道を根付かせた尾張家12代知止斎徳川斉荘の遺徳をしのぶもの。この地方の故事にまつわるさまざまな物語が背景にある茶器をちりばめて、家康に始まって江戸時代、近代、現代に至る尾張名古屋の物語を時空を超えて紡ぎ、季節感を盛って唯一無二のお茶を編んだ席主。金満でなくとも、師匠の導きと仲間との切磋琢磨があって、執心怠りなく茶道精進すれば、こんな凝った茶会ができることを身をもって示したと言えます。

 茶道、茶器収集仲間の男性ばかりで点前、お運び、水屋をになった「メンズ茶会」も好ましく、頼もしく感じられました。

IMG_6321.JPG

 

 冷暖房はもちろん、電灯すらほとんどない伝統的な茶室は格調高くも、ことに蒸し暑い名古屋の夏は、冷房なしでは主客ともちょっと過酷と感じました。滝行でもしたように全身汗みずくの男性スタッフの姿に、熱中症にならないか、と案じられるほどでした。

 これだけ入念な室礼、茶略を巡らせた初陣茶会ですが、ちょっと物足りなかったのは、花です。峻烈な気を吐く双幅の書に対して、オランダ写しの宇佐見屋浪越窯の花器は涼しげではあるけれどいかにも軽く、3種生けの茶花も芯になるものがなく、いまひとつ工夫の余地があると思いました。

 順番に沿っての解説は、丁寧ですが、一方的な解説口調は、一座建立の感興をそぐものかもしれません。席主と客の当意即妙の会話こそ、一期一会の茶席のご馳走だと思います。

 柴田氏の実家は名古屋市の西北部、清須市西枇杷島町の美濃路沿いにあり、明治時代の伝統的な町家建築。元商家らしく、親しい者しか上げない2階は数寄を凝らした空間。地袋、書院のある座敷(15畳)、待合(4.5畳)、茶室(5畳)などがあり、6月初旬の尾張西枇杷島まつりには、友人知人を招いて、お兄さんと兄弟相和して、祭り釜を催しております。賑やかな山車巡行を2階茶室から見る風情は格別です。先年祭り釜に招かれた時の思い出が蘇りました。それから10年足らず、満を持しての初陣茶会は格段の進歩。メンズの面々には、次代を期待される強者がいて、後続が期待されます。

 金城茶会は名古屋城の茶席を会場に、2019年度に始まった和文化体験の「春姫茶会」を前身とする新しい定例茶会。不運にも昨年度はコロナ禍で休止。模様替えして始めた2021年度は第1回の5月2日は同茶会世話人の表千家岡江智子氏が担当し、緊急事態宣言下にあった6月6日は中止となりました。
 岡江氏は「ベテランはもちろん、大寄せ茶会デビューの場を提供して、名古屋の茶道を盛り上げたい」と言います。「寒さ暑さが厳しい時期以外、名古屋城に来れば毎月第一日曜日には必ず茶会が開かれている。そんなスケジュールを組みます」と語っていました。
 次回は9月5日(日)、松尾流の村瀬玄之氏です。