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月釜再開「吉祥会」が先陣
長谷川如隠氏が軽妙懸け釜
骨董市も賑わい

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 新型コロナウイルスの感染拡大の第4波により約2か月間中断していた、茶どころ名古屋の月釜が2021年7月1日、再開されました。名古屋・栄の名古屋美術倶楽部3階の広間席「葵の間」を会場とする「吉祥会」です。名古屋茶道界の人気席主、長谷川如隠氏のユニークな取り合わせに、再開を待ち侘びた茶道愛好者が大勢詰めかけて、終日賑わいました。
 吉祥会は、名筆「関戸本」の所有で知られる名古屋きっての数寄名家・関戸家当主、関戸有彦氏と松尾流11世松尾宗倫家元により昭和57年(1982年)に設立された月釜です。コロナ禍で1年半にわたって中断が続いていましたが、久々の再開となりました。
 「じょいんさん」と呼ばれる長谷川氏は、名古屋都心部の自宅ビル最上階に茶席と道具蔵を所有し、自在な茶事をするかたわら、「木曜会」「興正寺月釜」「吉祥会」などの名古屋の代表的な月釜の常連席主として知られます。現代にあってはほぼ絶滅した風流韻事をもっぱらとする「旦那衆」最後の生き残りともいうべき表千家茶人です。

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 この日の床の間は、曽祖父の初代如隠こと長谷川惣吉宛て表千家11代碌々斎宗左の6月12日付の文です。席主の説明によると、茶道が没落していた明治時代、火災により京都の家元屋敷を消失した表千家はお出入りの千家十職を引き連れて、家元再建資金を集めるため有力門人のいる各地に寄寓。名古屋はその代表的な寄寓地で、多額納税者であった貴族院議員、早川周造の名古屋・上前津の別邸などに一族郎党ごと身を寄せて、名古屋の千家茶人たちと茶事に明け暮れていたようです。碌々斎の文は名古屋寄留時代を物語る消息です。

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 長谷川氏は、いつものように亭主自ら点前をしながら、豊富な茶道知識、経験を生かして正客と軽妙なやりとり。大寄せ茶会でお点前は代点で済ます席主がほとんどですが、氏は正客、次客のお茶は必ず自分で点てる流儀を貫き、異彩を放っています。するするとあっという間に茶をたて終わり、長い大きな扇子「渋扇」を取り出して、ゆるーりと動かし、扇のひだがゆらゆらとなびく様子はいかにも旦那衆。茶席では懐中した扇子をあおぐことなかれ、というタブーから解き放たれた自由人、如隠さんの面目躍如です。渋扇は鬼平はこう使うとばかり、まず敵に先手必勝で扇で突きを喰らわし、怯んだすきに腰の刀を抜刀して切り払う、身振り手振りの剣劇もさらりと披露しました。

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 花は今朝初咲きが到来したという宗旦木槿に、沙羅の蕾、白咲の桔梗、イトススキなどを、南洋フィジー土産の竹籠に投げ入れて、いかにも夏の風情を醸します。点前座は、堂々。大振りな霰繰り口の釜を切り合わせの鬼面唐銅の風炉に。水指は、尾張徳川家伝来の絵高麗水指のお庭焼御深井焼写し。茶碗は、了入の黒楽馬盥、永楽和全の御所丸写し、名古屋の楽焼「笹島焼」というライアンアップも嬉しく。菓子は、川口屋製の「鮎」。ずっしり持ち重りする鉛入りギヤマンの鉢にもりつけた姿は、まさに清流に泳ぐ鮎のよう。その皮の美味、程よい甘味の餡がバランスよく、数ある鮎菓子の中でも絶品です。

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 茶趣はさすがにハイセンスですが、気になったことがありました。
 コロナ禍前だと、会場の葵の間は、次の間12畳を道具飾りの寄り付きにして、本席15畳に入席して書院の茶を楽しむという趣向でした。ソーシャルディスタンスを取るため、この日は本席と次の間の襖を取り払って27畳の大広間一室に模様替えされておりました。
案内があって、席入りすると、一室となった大広間上座に、寄り付き掛けの軸や展観道具が並び、下座に床の間がある、という座りが悪い配置になっていたのです。もう一つ違和感を覚えたのは、正客から4客あたりまでが座った位置と、5客以下の連客が座る位置が、寄り付きの道具展観によって分断されてしまい、一座建立の空間を阻害していたことです。実際、正客から拝見に回った茶碗を、下手側の客がいちいち立ち上がっては取りに行って戻っては、拝見に回す光景が繰り広げられました。


 衝立などで、オープンスペースを寄り付きと本席とに便宜的に仕切り、正客から末客まで途切れなく座る工夫があったらより良いのでは、と感じました。吉祥会に限らず、しばらくはwithコロナ仕様の変則、試行が続きます。席主や主催者には、茶趣と感染症対策の両立を図る工夫が求められます。

 同じフロアで1年半ぶりに同時開催された「かね吉骨董市」は、値打ちな茶器が多数並び、朝から大勢の茶客で賑わいました。コロナ収束を見越すように道具がどんどん売れ、繁盛していたのは明るい兆しでした。

 吉祥会次回は9月5日(日)、松尾流の大島宗秀氏です。