「四百年有楽椿や如庵に添ふ」
松岡典子さん初句集「有楽椿」
城下町犬山育ちの面影
有楽流愛し人生映す作品群
四百年有楽椿や如庵に添ふ
NPO法人茶美会日本文化協会(茶美会)の監事、松岡典子さん=名古屋市西区=が初の句集「有楽椿」(文學の森)を出版しました。俳句仲間から誘われて、名古屋市在住の俳人武藤紀子さんに師事し俳句結社「円座」に2012年に入会。それから2024年までに詠んだ千句弱から、武藤さんが三百句の秀句を選びました。年代ごとに「しなやかに」「祈るため」「東雲」「白き雨」「黄金の波」「どこまでも」の6章に分けて、句集を編みました。折々に、こよなく愛する有楽流の茶が培った美意識に根差した句が置かれ、光彩を放ちます。国宝のお城のある城下町・犬山が育んだ松岡さんの瑞々しい感性と、七十歳、八十歳代になっても、前向きに人生を楽しむ姿と、独居の寂寥が投影されており、陰影豊かな句集は読み手を惹きつけます。
武藤さんは「犬山は俳句でたびたび吟行する素晴らしい町である。国宝犬山城のあるこの地で生まれ育った典子さんの俳句に濃い面影を残している。国宝の茶室『如庵』の庭には水琴窟もあり、有楽椿が花開くのであった」と帯文並びに序文を寄せました。
蘇塘子(そとうし)の俳号を持つ父兼松源吾さんが俳句をよくしたことから、「父の真似をして折に触れて俳句を詠んできました」という松岡さん。国宝犬山城を望み、滔々と流れる木曽川の川湊跡近くにある旧家の五人姉妹の末っ子。有楽流の茶道は、嫁いだ松岡家が尾張藩時代から有楽流を嗜んでいたことから、有楽流の復興を願いながら果たせなかった亡き岳父の思いを受け継ぎました。尾州有楽流の継承者であった故・坂井弘風師を囲んで結成した「有楽流如翠会」発足当初から参加し、坂井師について点前を修めました。
同門のWEB茶美会編集長で有楽流拾穂園主の長谷義隆の良き理解者であり、長谷が催す茶会の常連です。
有楽椿の一輪が描かれ、作者のお人柄に似て控えめながら気品ある装丁の句集をくると、お茶の句が目に付きます。松岡さんが参席し、句作のモチーフになった有楽流茶会の様子を添えます。
初釜や時空を超えしものにふれ
釜始め五枚小鉤の足袋をはく
茶の席の大山蓮華の白き花
炉開きの茶碗織部の剽(ひよう)げもの
濃茶点て有楽椿に心寄せ
緑陰の如庵四百年の孤独
有楽椿と、織田有楽斎が好んだ茶室如庵の句、この句集の骨格となっているようです。
人柄通りの素直な表現も魅力です。
初鏡母の面影映りしや
正月に初めて鏡台を開いたとき、若い時はそうとも感じなかったのに、鏡の向こうに亡き母の面影を見た実感と、いくつになっても母を思う心を率直にうたいます。
積む雪に顔型残し幼き日
伊吹おろしの寒風が雪を降らせると大喜びで、積もった雪に顔を突っ込んで顔型を作って遊んだ子どものころ。「人間って不思議で、名古屋に嫁いで長い年月がたつにの、幼い日のことが思い出されましてね」
8年前に開業医だった夫に先立たれ、松岡家代々の位牌を守っている松岡さん。お盆の最中は夫や先祖の御霊が戻って、一人ひとりにお仏飯を供えるといいます。お盆も果て「門火消え独りの日々に戻りけり」。独居の寂寥にふと沈みます。
ご自宅で取材最中、インターフォンが鳴り、松岡さんは中座。
部屋に戻ってきた松岡さんは両手で抱えるほどの郵便物を持っていました。全国各地の俳人たちが、贈呈された句集を読んで、その感想や共鳴した句を抄出、書き送った手紙、葉書の数々です。「句集を出したら、忙しいわよって、言われてましたが、ほんとうですね。有名な俳人からも、まったく存じ上げない方からも、お便りいただき、驚きました。このところ、お返事書きに追われています」
冬の蜘蛛南の窓から逃しけり
「わたしを知る人たちから、あなたらしいわね。って言われます。お部屋で見つけた蜘蛛を捕まえて、窓から逃した様を詠んだのですが、お家に巣くってもらっては困るし、逃すならせめて温かい日差しが差す方角の窓からという情景。わたしは難しい句は詠めないので、平易な作風ですが、意外に、結社を超えて、いろいろな俳人の方たちから評価されて、句集にはそんな句が選ばれています」
句集「有楽椿」は税込み2970円。松岡さんは「読んでいただける方には、送らせていただきます」と話していました。
申し込みは、松岡典子さんにメールで。
noriko924@tw.drive-net.jp