一器・一花・一菓
〜晩秋賑わす干菓子〜
「おもたせ」万年堂の華
飛騨春慶の逸品に映えて
秋たけなわの炉開きの茶会。拾穂園の薄茶席にぱっと、錦秋の華が咲きました。干菓子・半生菓子を得意とする和菓子の名店、万年堂の栗や菊花、紅葉などをかたどった秋の恵みを、飛騨春慶の青海盆に盛りました。
実は、この万年堂製はこの日のお客さまからの手土産。お客さまの目が「このお菓子をこの日の茶会で使ってほしい」と訴えていました。席準備で慌ただしいさなか、包み紙、箱を開けてみたら、絵に描いたような錦秋の景色。水屋にいたお弟子さんから「わあ」と歓声が上がりました。
この好意に応えなければ。用意してあった薄茶の菓子と器を急きょ差し替え。これまで「おもたせ」は、茶会が果てた後、スタッフと後見の茶で包装を解いて、いただくことはあっても、当日の茶席本番に出すことはありませんでした。
もう席入りの時間が迫っている中で、映る器をとっさに考え、水屋に接続している納戸にゆき、飛騨春慶塗を迷わず選びました。差し入れしたお客からは「とっさのお気遣いに恐縮でした。素晴らしい春慶塗のお盆で干菓子を出して下さり、感無量でございます」と感謝のメッセージがありました。茶会は生き物。当意即妙、臨機応変が大事だと感じました。
目が詰んだ天然の木目が透き漆を通して見える自然の風合い。ロクロ挽きは神技級。紙製かと思うほどの軽さです。測ってみたら、直径23・5センチある盆の重さは、わずか47.7グラム。厚紙ほどの薄さながら、反りも歪みもなく、よく乾かした良材を丁寧に加工。実に茶に適っていて、よほど茶道に通じた人物の指導がないとできない代物だと思っていました。
共箱は箱表に「飛騨春慶 青海盆」と墨書、箱裏に「吉郎兵衛 印」の落款があります。飛騨の名匠なんだろうな、ぐらいに思って使っていましたが、今回改めて調べると、吉郎兵衛とは、飛騨高山の春慶塗問屋のブランドのようだと分かりました。
実は、この青海盆と同種の逸品に茶会で出合い、高山訪問の際、同じような品が欲しいと、春慶塗の店を巡りましたが、天然の木目が美しい春慶塗はなく、がっかりしたことがあります。
福田吉郎兵衛は、家業の魚市場と春慶塗「福田屋」、一位細工の問屋を経営。明治時代、高山名産の飛騨春慶塗を東京、名古屋、関西に販路拡張に努めるかたわら、町会、郡会、県議会の議員を務め、推されて大正元年から9年間、高山町長の要職を務めた、高山きっての名士でした。福田鋤雲の俳号を持ち、俳句と漢詩をよくし、酒を愛した粋人で、広瀬武夫中佐、俳句の河東碧梧桐と交友し、地元出身の作家の瀧井孝作を長く支援したそうです。高山の古き良き時代の飛騨春慶「吉郎兵衛」ブランド。商標が印刷の福田屋製の春慶塗とは一線を画す、特別品のようです。