味わう

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古流の教え③
涼を呼ぶ葉蓋の点前
玄々斎時代に吸収か

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 裏千家11世玄々斎の創案になるという「葉蓋」点前。水指の蓋として、草木の葉を用いて、涼を演出する夏の薄茶の点前です。
 武家茶道の古流であり、あまり点前の改変が少ない尾張名古屋伝承の有楽流に、300年前に成立した伝書には載っていない葉蓋の点前がなぜあるのか、不思議に思っていました。

 名古屋地域の茶道史料の掘り起こしに努めた時期、ある文書を見つけて、合点が行きました。江戸後期の一時期、尾張藩の主従が全て裏千家流に改流する時代があったのです。尾張徳川家に対して将軍家から「押し付け養子」として12代藩主を継いだ徳川斉荘の時代です。
茶の湯を裏千家11代玄々斎千宗室に学んだ斉荘は、尾張家当主になると、裏千家を重用し、有楽流をはじめ各流が盛んだった尾張藩の家中は、こぞって裏千家流に改流を迫られました。その文書には改流した藩士たちの名前がずらっと列記されておりました。


 当時、藩茶道を取り仕切った数寄屋頭の有楽流平尾家も例に漏れません。6代心空庵平尾数也、跡取りの後の自軽叟7代数也の名前も改流リストに載っておりました。短命だった斉荘の死後、改流の縛りは解けて、有楽流は復活しますが、玄々斎が創案した葉蓋の点前に、この時期吸収したことは想像難くありません。
 七夕の趣向に限定していた玄々斎の好みを換骨奪胎し、涼を呼ぶ夏の薄茶として以後、定着したようです。

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 拾穂園で7月下旬に開いた納涼茶会の初座で、葉蓋の点前を披露。朝露が輝く蓮の葉の蓋を取ると、水指は黄瀬戸の大ぶりの銅鑼鉢。「油揚げ手」の桃山時代の希少な黄瀬戸です。器底には、黄瀬戸の定番、蕪が描かれています。
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 露をこぼさないよう葉を取り上げて、建水に露を垂らして、葉を畳む。見た目に涼を演出する。古流に凝り固まらず、守るべきものは守りつつ、時代や状況に応じていいものは取り込んでゆく。創意工夫を大切に「もてなしの茶」を本意とする有楽流の遺風を、そこに感じます。