味わう

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下村瑞晃さん91歳 死去
尾州久田流5代家元
苦難しのぐ胆力、無類の茶数寄

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 名古屋茶道界をリードした茶人、尾州久田流の第五代家元下村瑞晃(ずいこう、本名下村亘)さんが2022年3月31日、心不全のため、入院先の名古屋市内の病院で死去しました。満91歳でした。
通夜は4月1日午後6時から、名古屋市緑区大高町鷲津山13番地、長寿寺会館で。葬儀告別式は4月2日午後1時から、同所でしめやかに営まれました。喪主は嫡男の第六代家元、下村宗隆(そうりゅう)さん。自宅は名古屋市緑区大高町字伊賀殿4の7。

 地域に根ざして茶道文化の振興に多大な貢献をした宗匠の逝去を悼み、式場には百基近い献花の花輪が並び、改めて宗匠の大きな足跡がしのばれました。

 瑞晃さんは、幕末から大正初期に活躍した茶人、下村実栗(哉明)を初代とする名古屋市の茶家下村家の後継者として、会社員勤めの傍ら、茶に親しみ、風雅を愛し、参禅に打ち込みました。無類のお茶好きで、酒豪としても鳴らしました。温厚、篤実な人柄で知られ、流派を超えて尊敬を集めました。東海茶道連盟、熱田神宮献茶会、三日月茶会、知足会、木曜会、豊国神社献茶会、興正寺茶会、朝日茶会などに懸け釜し、茶どころ名古屋の重鎮として、茶道界を牽引しました。
後継者だった長男彰さんが2013年4月、46歳の若さで急病死。瑞晃さんは当時82歳の高齢でしたが、悲嘆、失意の中、予定していたすべての自他の茶会を休むことなく挙行。若い頃から参禅で培った胆力の賜物でしょう。流派の危機を一致団結して盛り立てた門弟の結束も見逃せません。

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「下村家の茶を絶やしていけない」と、孫の村木隆史さんを後継に指名しましたが、跡取りだからと甘やかすことなく、草履取りから隆史さんを指導。隆史さんは新婚の妻を宗家に預けて、2015年から3年間、京都・大徳寺で僧堂修行しました。

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 厳しい修行でひと回りも二回りも大きく成長した隆史さんの後継者披露の茶会を19年4月7日、名古屋・八事の八勝館で開きました。大徳寺管長以下、紫野の禅僧が勢揃いする威容は語り草です。濃茶席では新家元の宗隆さんの後見として元気な姿を見せました。
名古屋の月釜はもちろん、東西の有名茶会に足繁く参席していましたが、足腰が弱り、さらに持病が悪化。それでも、自宅萬翠庵での茶会では姿を見せていました。
 尾州久田流の初代、西行庵下村実栗の弟子だった名古屋を代表する数寄茶人、森川如春庵の顕彰にも取り組み、その愛弟子でもあった瑞晃さんは、如春庵の遺構「森川邸田舎家茶室」の再建に尽力しました。田舎家茶室は名古屋・覚王山の日泰寺境内で再建途上。完成を見ることが叶わなかったのが惜しまれますが、胆力優れて苦難に耐えて茶法、流風を次代に引き継いだ茶人の大往生でした。
 合掌 WEB茶美会編集長・有楽流拾穂園主 長谷 義隆