見る・遊ぶ

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涼と宮廷の雅で織りなす星祭り
桑山道明さん木曜会懸け釜
養老、鵜飼、蝉、祇園‥興呼ぶ

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 七夕をどう演出するか。7月7日前後に釜を懸けるとなると、茶人は腕まくりして、趣向を練ります。茶どころ名古屋屈指の茶器収集で知られる桑山左近(本名・桑山道明)さんは2023年7月6日、名古屋・上飯田の茶懐石志ら玉で開いた木曜会七夕茶会で、星祭りのロマンを、涼を呼ぶ趣向を横糸に宮廷の雅を縦糸に、織り上げました。

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 寄付は、幕末の復古大和絵師の浮田一恵が描く養老孝子図。養老の滝伝説で知られる大和絵です。滝水が涼を呼びます。堆朱の大香合は、なんと後西天皇御筆とされる松下人物文、古鏡入れでもあったのか、直径10センチはありそう。御典医だった福井家の伝来。「張成在名」と会記にありましたので、しげしげ眺めましたが、残念。見つかりませんでした。茶器は高台寺蒔絵大棗。茶杓は、近代の宮廷茶人、賀陽宮(かやのみや)好子女王の共筒・箱の銘「綾羽」「呉羽」。七夕祭りに連なる織姫たちの銘もゆかしく、これを受けて、本席床には、江戸前中期の公家歌人、中院 通躬(なかのいん・みちみ)が元禄7年7月7日、宮中で催された和歌会で詠んだ歌の懐紙が掛かります。

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 「わがための秋ぞとけふは ほしやおもふ 夏くわわりし けさもわすれて」。珍しい蝉耳が付いた古銅器口四方の花入には、木槿の祇園守り、イサリビソウ(漁火草)の2種生け。おりしも。開け放った障子の向こうから、蝉の鳴き声が。祇園守りは京都の夏を彩る祇園祭の山鉾巡行、イサリビソウは長良川の鵜舟の漁火を想起させて、暑中の趣向と王朝趣味がほどよく入り混じって、興を盛り上げます。

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 目を点前座に転じると、朝顔の押し花を張った風炉先に囲われて、菊文と瓢文を透かし彫りが珍しい古作の唐銅風炉と真形の釜、水指は毛織(もうる)抱桶。抱桶は水を入れて手許に置き、暑さをしのぐために抱いたとされ、夏の茶会では喜ばれます。抱桶は、たっぷり冷水に浸して表面に水滴が滴り落ちる風情を楽しみたいところですが、席入りした回は乾いたまま。2種生けの花も、イサリビソウが木槿の陰に隠れて、まわり込まないと見えないなど、茶趣、茶花に抜かりがない茶博士桑山さんにしては、あれれ、珍しいなと思っていたところ、暑気にやられて体調をちょっと崩して、暫時、亭主を降板して休んでいたと言います。

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 なるほど、そういう事情があったのかと、思う反面、8月にはおん年85歳になる長老のこと。これまで壮健だったとはいえ、老師匠の体調が万全でないことはこれからもありうるでしょう。弟子筋はもっと盛り立ててほしいと思った次第です。

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 菓子は2種、ギヤマンの角皿に梶の葉を敷いた上に、五色短冊形の葛焼は芳光製。岐阜・玉井屋本舗から取り寄せの干菓子「焼鮎」。器は岐阜つながりで神楽丘不入作の乾漆青海盆。茶碗は、大ぶりな堅手平茶碗、小堀宗慶の「ゆふ立の‥」の歌銘がついていました。次客は金海茶碗、三客は青磁、以下、ととや、などちょっと下手でその分肩が凝らない高麗・唐物茶碗がたくさん用いられていました。

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 久田流で好んで使われる銀閣寺古材の煙草盆は、箱行き、伝来から「本歌」と思しく、正客で居合わせた尾州久田流家元の下村宗隆さんは興味津々でした。建水の拝見を請うのは気が引けるものですが、道具執心の若き家元は、臆せず拝見を所望。さすがに茶博士が莞爾としてこれに応じるあたり、楽しいやり取りです。建水は唐銅の盥は口縁下に類座状の装飾が施され、紀州徳川家の御道具であった由緒もなるほどの名品でした。いや、眼福、眼福。


 無類の道具数寄の正客に恵まれて、最初は顔色が冴えなかった桑山さんでしたが、主客の会話が弾み、惜しげもなく、蘊蓄を開陳。茶の功徳でしょうか。生気が戻ったように見えたのは、何よりです。

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 当日会員券2,000円。次回は8月3日、永坂知足庵さんです。