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好漢・高橋雅俊さん初陣茶会
「達吉」逸品から紡ぐ浦島綺談
金城茶会を「零和会」盛り立て

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 茶どころ名古屋の次代を担う若手、高橋雅俊さんが2023年7月2日、名古屋城本丸御殿の「孔雀之間」で開かれた金城茶会で席主デビューしました。茶数寄、美術愛好の士らしい流派、ジャンルを超えた個性的な取り合わせで、中京茶道界に新たな息吹を吹き込みました。大雨が続いた梅雨の貴重な晴れ間。真っ青な夏空が高橋さんの初陣を祝っているようでした。

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 会場は3間もある床の間付きの36.5畳の大広間。檜造りの格調の高い御殿建築ながら、茶の湯をするには使いようが難しい空間。これを大胆に間仕切りして、下手を寄付、上手を本席に区切って使ったのが、効果的でした。

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 愛知県碧南市生まれ日本近代を代表する工芸家、藤井達吉翁(1881~1964年)をこよなく愛するという高橋さん。数多くの作品が残る達吉翁の中でも、海をモチーフにした逸品2点を寄付と本席に掛けました。寄付の額装「海中大短冊継色紙」は、万葉歌人山部赤人の「みさご居る磯廻(いそみ)に生おふる名告藻(なのりそ)の名はのらしてよ親は知るとも」を、翁が平安の技法を現代に甦らせた継色紙にちらし書き。これを受けて、本席は軸装の「海中孤岩図」。荒波が渦巻く磯に突き出た岩を高価な岩絵具で描いた、琳派へのオマージュを込めた一幅です。

 高橋さんによると「翁は宮中の仕事をしていた時期があり、そのころ岩絵具がふんだんに使えたので、その時期に描かれたのではないでしょうか」と語りました。碧南市藤井達吉記念現代美術館のホームページの翁略年譜には「1942年(昭和17)照宮成子親王の御成婚祝賀献納屏風の制作にかかる(翌年完成)」とあり、高橋さんの指摘と符合するようです。照宮成子親王とは、昭和天皇の第一皇女で、明仁上皇の早逝した実姉です。
 「野に咲く工芸」とうたわれ在野に徹した翁ですが、宮中御用という意外な活動歴を知ることができて、収穫でした。発見のある茶会はうれしいものです。

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 高橋さんは、海つながりに着想して初陣の茶略を練っていました。それは浦島太郎の蓬莱伝説。太郎と乙姫が向かったのは竜宮城ではなく、「蓬莱山」という海の彼方の不老不死の世界だと言います。歴史好きな高橋さん。楽しげにうんちくを語りながら、取り合わせた道具組みを語ってゆきます。

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 「蓬莱」の銘を持つ古材茶杓は、熱田神宮大宮司家の千秋季福(1846-1876年)の共筒・箱の珍品。主茶碗の黒楽・銘「福寿海」は、松尾流初代の楽只斎宗二の手造り。楽只斎の茶境がうかがえる逸品です。次茶碗の古曽部焼の立鶴茶碗は、鶴になった浦島太郎は蓬莱山へ飛び立ち、そこで亀の姿になった女性と再会して幸せに暮らしたという、後日談にちなんでのこと‥‥。

 立板に水の説明に、おとぎ話の浦島伝説しか頭にないWEB茶美会子は、話についてゆくのに精一杯です。
 しかしながら、数茶碗をいっさい使わず、自らの審美眼でコツコツ集めた茶碗の数々。画家鈴木大麻と陶工伊藤才叟の合作になる津島焼の赤楽、達吉翁の紫釉など、地元愛、古美術愛がこもる品々でした。

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 宗旦好みの一閑木瓜形の煙草盆には、さりげなく桃山の名品が。織部三ツ矢形の火入れを取り合わせるあたり、初陣とは思えない茶の湯巧者の片鱗を見せました。
 古今を取り混ぜた取り合わせに、奥行きを与えているようでした。

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 美術好き、博識の好青年も四十路を超えて、独身。誰ぞいい伴侶が見つからないのか。いらぬ老婆心がもたげてきます。

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 席主名の「零和会」は、中京茶道界の明日を担う若手・中堅の男性茶人の集まりだそうで、表千家、裏千家、武者小路千家、松尾流といった流派を超えた茶数寄が集まって、高橋さんの初陣を仲間たちが力添え。さっそうと点前、お運びをして、席を盛り立てていました。

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 金城茶会は2019年度に始まった和文化体験の「春姫茶会」を前身とした月釜。次回は9月3日(日)、表千家の鹿島伊純さん。当日券は1,000円(入城料別途)。

 ただ、茶席アプローチ入り口には門番が居て、容易にフリーの茶客が寄り付けない雰囲気。「当日券有り」の告知は、門番がいる場所にあると親切かもしれません。