見る・遊ぶ

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名残りの板風炉・百陀釜
茶味ある尾州久田流萬翠会
豊国さん神無月釜

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 名古屋・中村公園で2022年10月16日開かれた、豊国神社献茶会の懸け釜。既報の記念館席と同時にあった桐蔭席は、尾州久田流(名古屋市緑区)の門人会「萬翠会」が務めました。町方の侘び茶を標榜する流風をよく体現。板風炉に百陀釜(ひゃくだ)の名残りの風炉・釜セットも好ましく、気取らず、しかも締めるところは締める、茶味あるおもてなしです。

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 寄付の掛け軸は、先先代家元の下村晃園筆の「紅葉狩り」図。絵の師匠上村松園譲りの美人画で、日本舞踊・紅葉狩りの世界が描かれていました。茶杓は今春長逝した先代家元瑞晃さんの銘「よなが」。

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 石翁久田耕隆好みの香合は、蓋裏に芒が風になびく武蔵野蒔絵。作は名工近藤道恵(どうえ)。江戸前期から明治時代まで11代続いた、加賀前田家お抱えの塗師。1代々同名の道恵を名乗ったため、本作は何代目か分かりません。優れた塗りの技を歴代伝えたことが分かる、洗練された作風です。
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 本席に入ると、秋の草花5種投げ入れの宗全籠を前に、江戸中期の大徳寺僧、大心義統の筆「喫茶 云々」の羽箒画賛。画賛の絵から抜け出たような野雁の羽箒を持った女性が現れ、尾州久田流独特の風炉を羽で清める所作がまずあって、お点前が始まりました。

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 板風炉は、千利休が小田原陣中で好んだのが始まりといわれ、利休好みは杉材で土壇を丸く塗り上げたものです。 灰は、籾殻を蒸し焼きにした籾殻灰。五徳を使わず透木を用いて載せた釜は、表千家六世覚々斎原叟好みの道爺作の百侘釜。口に雷紋、胴に「百侘釜」の3文字を鋳出し、常張り鐶付がある富士形の釜です。

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 尾州久田流の源流となった両替町久田家は、表千家から分派して、久田流を称して主に東海地方に広まりました。天明の大火(1788年)、蛤御門の変(1864年)に遭い、両替町邸が2度にわたり焼失。再建を図るため、有力門人がいた尾張に滞留し、当地との縁が深まってゆきます。

 尾州久田流は、初代とされる大高(現在名古屋市緑区)の西行庵下村実栗が6代宗参の弟子の栄甫から久田流を会得した後、下村家代々は茶家として一家をなし、独自発案を含めて戦後創流したものです。

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 細水指は耕隆作。自然な胴締めの姿、ろくろ目もたって、釉薬の流れ具合もよく、耕隆作品中、上手のものと拝見しました。主茶碗は、久田流の茶を尾張・知多に広めた江戸中後期の茶人久田耕甫が作った銘「眠布袋」の赤楽。耕甫は天明の大火で焼けた京都の本宅を再建するまでの数年、知多半島大野(常滑)の豪商、浜島伝右衛門家に滞在。手工に秀で浜島家滞在中に造ったと思われる常滑焼の水指や建水などが残っています。

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 半田松華堂製の銘「栗千代」。銘菓「千代の糸」の栗きんとん版です。味は絶品でした。飴釉の皿は楽弘入作。

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 当初の予定では、尾州久田流のベテラン、毛利晃鳳さんが席主でしたが、大病を患われたためやむなく降板。点前は毛利社中が務め、室礼などは同門の皆さんで受け持った、とお聞きしました。茶会、家元での茶事など、いつも尾州久田流を熱心に長く支えた毛利さん。ご回復を祈念しております。

 豊国神社献茶会は7、8月を除く毎月第3日曜10:00 〜 15:00開催。年会費15000円。入会随時。茶会受付にて手続き。非会員でも当日券2500円で席入りできます。
連絡先 事務局 TEL:090-4257-3943


    茶道具商 垣茂(垣内茂希)
 御菓子所 松川園(新美智久)


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