見る・遊ぶ

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光悦、紅毛、桃山陶‥贅沢な薄茶
ウロコヤ・横井一雄さん
熱田さん弥生釜は花見気分

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 花見気分を主調に吟味した名品をバランスよく取り揃えた、茶味あふれる薄茶でした。名古屋の主要美術商でつくる名古屋美術倶楽部を率いるウロコヤ・横井一雄さんが2022年3月15日、名古屋・熱田神宮の献茶会で席主を務めました。

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 会場は、水辺に浮かぶように建てられた書院、千秋閣。寄付に掛かるのは、復古大和絵の浮田一蕙(うきたいっけい、1795~1859年)筆の隅田川の図。伊勢物語の主人公、昔男こと在原業平は、旅枕を重ねて東下りの先に訪れた武蔵国の隅田川。その渡し舟で歌った「名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」(古今和歌集収録)は、あまりに有名です。謡曲の「隅田川」でも知られ、春の物狂いの形をとりながら、愛息梅若丸を人買いにさらわれ、京都から隅田川まで流浪し、愛児の死を知った母親の悲嘆を描く悲劇の舞台です。


 一恵は 一時、江戸に来たりて、隅田川のほとりに住まった折「昔男精舎」と自称。寄付に掛かる絵は落款に「昔男精舎」とあり、まさにこの図は一恵が見た隅田川の春の風情なのでしょう。しかし、時代は風雲急を告げます。彼は絵師であると同時に謹皇討幕の志士でもあり、江戸にあってペリーが再来を知るや悲憤慷慨して現地に赴き、浦賀沖の模様を描きます。京都国立博物館所蔵の「米艦浦賀渡来図」 (1854年)です。尊皇攘夷を訴える彼の絵は筆禍をこうむり、安政の大獄で捕えられます。獄中病を得て放免されるもすぐに没します。王朝時代に憧憬した画家はこの絵を描いた頃から、時代の激流に身を投じて、命を縮めました。春本番を迎える中で、彼の地では非情な地獄絵図が繰り広げられています。いろいろ想起させる昔男精舎印です。
 さて、寄付に飾った茶器はすっきり2点のみ。表千家の覚々斎が一句ひねり「早わらびは草の戸叩くこぶし哉」と詠った句銘茶杓。珍しいことに菓子鉢を展観。呉須赤絵の花鳥文、白地が純白に近く赤絵、内の呉須絵がくっきり。擦れもなく菓子鉢として最上手です。コロナ禍で、菓子鉢の手渡し拝見がはばかれると、席主は寄付に飾ったとのこと。菓子鉢拝見は席中に限らない、ニューノーマルの茶席風景。あれもこれも飾るのも楽しみ多く、学びもありますが、寄付拝見は席中以上にお客が密集状態になりがちです。これを避けるのは、一つの見識であり、客への配慮なのでしょう。

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 本席に入れば、床は本阿弥光悦の三月一日付の書状。まだ中風の出る前のしっかりした筆跡で、茶友と見られる武将茶人、中川宗半にご無沙汰を詫びると共にお茶に招きたい旨を認めた消息です。旧暦三月朔日は新暦では四月一日。なおなお書に花見のことも書き添えてあるといい、時候にぴったりの光悦です。
宗半こと中川光重は織豊期の武将、茶人。織田家のあと仕えた加賀前田家では重用され、妻は前田利家の次女・簫姫(瑞雲院)。かなり変わりものだったようで、茶の湯にこって城の修繕を怠って能登に流されたり、秀吉の前田邸御成の際は家臣団筆頭として活躍したり。唐物茶入「宗半肩衝」を粗略に扱って、主君にお咎めを受けたり。エピソード満載。尾張出身ですが、地元では全く無名ながら、加賀の茶の湯の草創期に名を残します。

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 熱田神宮境内の原木がある太郎庵椿にサンシュユの花木を、阿古陀形の古備前の大徳利に投げ入れて、花見酒の雰囲気を醸します。香合は隅田川の都鳥、ユリカモメに擬して、交趾の型物香合「鴨」。
点前座は、目を見張る紅毛の莨葉文。藍・黄・緑・赤などで胴の前後に煙草の葉を思わせる文様と蔓唐草文様を描いた、和蘭陀焼の初期の手です。溜塗丸卓によくあい、枝垂れ桜文の嵯峨棗に映り合って、花見気分を盛り上げます。石見芦屋の釜は裾に梅と桜の地紋があり、席主の細やかな心配りが感じ取れます。茶碗は、品のいい半使、大胆な鋸文の黒織部、内側深くまで絵が描かれた祥瑞という、贅沢なラインナップ。全国区の大茶会級の名品茶器を惜しげもなく使った道具組です。
北大路魯山の絵瀬戸風灰皿など紙巻きタバコ用の道具で取り合わせた煙草盆はユニークで、名品オンパレードにしない席主の遊び心が感じられました。

 熱田神宮の令和4年度茶券は熱田神宮献茶会の各流派評議員が取り扱っております。
新年度からは、濃茶は千秋閣、薄茶は田舎家「又兵衛」となります。
なお、2年度、3年度の茶券はコロナ下、「無期限有効」となりました。
次回は4月15日(金)。濃茶は裏千家淡交会愛知第二支部、薄茶は松尾流です。