見る・遊ぶ

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侘び茶に名古屋もの調和
宗徧流高山宗徳さん待望の懸け釜
中村公園きさらぎ月釜

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 豊国神社献茶会の月釜が2022年2月20日、名古屋・中村公園の公共茶室で予定通り開かれました。長引くパンデミックにより茶会中止が相次ぐ中、席主、事務局の決断によって、宗徧流高山宗徳さんが桐蔭席、裏千家神谷宗節さんが記念館で薄茶席を担当しました。
茶の湯巧者の席主ふたりは、期せずして、時候に添った茶略を凝らしつつ、お茶ができる喜びを前面に出して、もてなしの茶を振る舞いました。

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広間席「桐蔭」は高山さんが席主。穏やかな人柄で、宗徧流名古屋支部長として当地の宗徧流をリードするベテランです。

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寄付には、浮田一恵筆の小幅の白梅の絵をかけて、今日のメインテーマ、梅を巡る趣向を暗示します。桃をかたどった蓮月作の桃形香合も添え、桃の節句の華やぎも表していて、控えめながらも早春の喜びが感じられます。

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寄付で目を引いたのは、江戸中期の名古屋の侘び茶人、二階堂昇庵作とされる茶杓です。宗徧流の不蔵庵龍渓(ふぞうあんりゅうけい)が替え筒を添え、箱書きをしている珍品です。

二階堂昇庵は濃州(岐阜県)の生まれ。医を生業として、京都に遊学した折、天脈拝診(天皇家の定期検診)に効き目があったとして法橋の号を賜ったとされます。名医だったようですが、名古屋・大須観音裏に隠棲して清貧に甘んじ、俗塵を避けて茶に耽った奇人です。1756(宝暦6)年7月没、享年80。職業茶人、宗匠ではないためか作品は数少なく、地元名古屋でも茶杓や茶器を見ることは極めて稀です。

拝見した茶杓は竹は分厚く、茶すくう先端の櫂先(かいさき)は厚い竹から切り出したような手強さです。節裏は削るというより、竹をえぐり取ったよう。粗にして野。なれど卑ならず。異形の茶杓を削る杉木普斎に学んだという茶歴を聞けば、なるほどと思わせるものがあります。
生きた時代が2世代後の龍渓。なぜか替え筒に「二階堂半聲子」、箱書きに「二階堂昌庵 号半聲又半時庵」と書き付けており(そう読めますが)、これまで知られている呼称、雅号とも異なるのが気になるところ。書き違えか、そうとも呼ぶことがあったのか、不詳です。ニ階堂昇庵の真作だとすれば、茶風、人となりがうかがえる茶杓ではないか、と見ました。

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近年、江戸中後期の「名古屋もの」人気はすっかり下火となって、大寄せ茶会ではすっかり脇役、端役扱い。せいぜいアクセント程度に扱われることが多かったのですが、高山さんは自身の茶道表現の中に上手く取り込んで、流儀を超えて、名古屋もの、数寄者ものを塩梅よく取り合わせ、かえって新鮮に感じました。

ほかにも名古屋ものが適材適所。幕末の名工、加藤春岱( しゅんたい)の織部茶碗、江戸中後期の茶人、河村玉椿斎好みの南蛮写し水指、安南風の元贇焼写の御深井焼菓子鉢、長谷川甫斎作の金城・紅梅炉縁などが、名古屋カラーの出た宗徧流の侘び茶となって、見識の高さが光ります。
 古浄元の霰広口釜の蓋を取れば、湯気が立ち上がり、寒さひとしおの茶会のご馳走です。

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床は岡田雪台筆の軸「楽 命のほかに何あらん ながらへて見る有明の月」。席主は「一昨年から2年待ち侘びた茶会。朝寝坊の私が今朝、早起きしたら、有明の月を拝むことができました」。心境を託した軸に、同座した一同同感の思いを深め、紅白を染め分けて咲くという梅花の珍種をイメージして特別注文した銘「思いのままに」の菓子を賞味しました。席主お気に入りの美濃忠製。

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 枝の屈折が面白い白梅と水仙を投げ入れた竹花入は、不蔵庵龍渓作。席主としては、軸に呼応する銘「是楽」を採用しての取り合わせだと理解できますが、広間には細きにすぎて、評価は分かれるところでしょう。

 蒸気を発しているのは釜だけではありませんでした。床の間脇に加湿空気清浄機が鎮座して蒸気を噴出していて、驚かされました。感染症対策に心を砕く席主の配慮は尊い。さりながら、せめて違い棚の下など、もう少し目立たない場所に設置できないものか。むしろ、混み合い、かしましい待合・受付・寄付を兼ねた部屋にこそ、加湿空気清浄機が必要なのではないか。老婆心ながら思いました。

裏千家神谷宗節さん担当の記念館席レポートは、後日配信します。