下村宗匠ごく侘び濃茶
熱田さん月釜4月再開
会場一変問われる茶略
新型コロナウィルスのため昨年4月から中止していた名古屋・熱田神宮の月次茶会が2021年4月15日、1年ぶりに再開されました。これまで、数ある名古屋の月例茶会の中で最も混むとされてきた熱田さんですが、令和3年度は感染症対策のため、様変わり。濃茶、薄茶の2席とも会場をがらっと変え、一席10人までに席入りを制限しての再開となりました。
再開一番手の濃茶席を担ったのは、尾州久田流の若き家元下村宗隆氏。会場はこれまで、薄茶席だった野趣ゆたかな田舎家茶室「又兵衛」です。熱田さんの月釜が始まって約70年。おそらく又兵衛での濃茶は初めてのことでしょう。
真行草の格を外したごく侘びの田舎家茶室での濃茶は、常の茶室の室礼では映りません。薄茶でも一筋縄ではいけない田舎家の茶。席主の腕のみせどころです。
期待を胸に、本席に入ると、紙風帯の草の表具を施した不及斎宗也の一行「春風到」が壁床にかかって、席映えしてました。台目据えの点前座に、古天明の大霰の鉄瓶釜を鎖で吊って、春の野趣とごく侘びた雅味が見事に融合しており、入念な道具組でした。
寄り付きは、蜜を避けるため、別棟の六友軒です。
驚きました。茶席が封鎖されて1年、人跡が絶えた園内踏石はすっかり苔に覆われて緑の絨毯になっておりました。歳月の流れとともに、コロナ禍が生んだ意外な自然の再生です。
炭道具や濃茶道具が飾られた寄り付きで、興味をひかれた灰器がありました。尾州久田流の初代、下村西行庵の在判のある今戸焼です。
西行庵・下村実栗は、幕末から大正前期に活躍した中京を代表する茶人でした。その門下から、稀代の目利き「中京の麒麟児」こと森川如春庵が出ております。所蔵家でもあった西行庵の薫陶あって、如春庵は愛知一中の生徒時代から、本阿弥光悦の名碗を入手する目利きぶりを発揮しました。
西行庵の名声は益田鈍翁の知るところとなり、晩年、東京・御殿山の天下の大茶会「大師会」で席主をつとめております。名だたる財界数寄茶人と肩を並べ、その侘びた巧みな趣向を、髙橋箒庵は『東都茶会記」で絶賛しました、
東京での交流浅からぬものがあったのは想像がつきますが、東京・浅草にあった今戸焼と、名古屋郊外の大高に庵を結んだ西行庵のえにしは、いかなるものだったのか。興味をそそられました。
一方、薄茶席は、従来の又兵衛から大書院「龍影閣」に会場替え。宗徧流名古屋支部が席持ちしました。若緑滴る池に臨む、明治天皇御在所だった立派な日本建築です。これまで月釜の会場として使われることがなく、炉は切っていないので、風炉での室礼となります。
1階広さ36畳敷の2間を開け放って、真ん中を一双の屏風で間仕切り。手前の次の間18畳を寄り付きとし、床の間のある18畳を茶席にした、ウィズコロナ仕様の薄茶会場です。
横にだだ広くて、高さがない異例の幅3間(6㍍弱)床の間です。さらに、池に面した南側は全面ガラス張り。緑と花が織りなすパノラマは高級料亭か庭園が売りの和風ホテルさながらです。外には石楠花が咲き誇って、花要らずの席とも言える、趣向が問われる空間です。
宗徧流名古屋支部は、意表を突く手を考案しました。
まだ蕾がほころびかけたばかりの大山蓮華を葉をたっぷり残して、伊賀焼と見まがう坂田泥華作の萩焼耳付の花入に投げ入れました。
花要らずの席に、花無くしては床の間がもたない。さりとて、なまじの花を生けても、この席には映らない。二律背反の難問に、捻り出した茶人の解答と見受けました。
幅広で高さがない破格の書院の床に、あえて小振りの軸を賭けて、求心力をもたせる工夫に、侘び数寄の宗徧流らしい見識を感じました。
なお、コロナ禍第4波に夜緊急事態宣言が5月12日から31日、愛知県内に出て、毎月15日定例の熱田さんの月釜は再び中止になりました。6月の再開が待たれるところです。
今年度は、席入り制限のため、例年販売していた当日券は扱っておりませんので、ご注意ください。