憧れ歌う「吉野の花」
命の華やぎ 憂い秘め
公武融合 有楽流の茶
先日開いた拾穂園での茶会のテーマの一つは 、「吉野の花」でした。復古大和絵の「桜町中納言図」を寄付にかけて、本席の床には、太閤秀吉吉野の花見に随行した武将の和歌短冊をかけました。雅と武士の剛健をともに愛した有楽流祖、織田有楽斎の茶風を慕っての室礼。清雅の一服の茶を喫しました。
桜町中納言こと藤原成範は桜を好み、その屋敷に吉野山の桜を移して楽しんだので、人呼んで桜町と呼ばれました。その桜の花の命を延ばした物語は『平家物語』にあります。
「勝て心数奇給へる人にて、常は吉野山を恋ひ、町に桜を栽並べ其内に屋を立て、住たまひしかば、来る年の春ごとに見る人桜町とぞ申ける、桜は咲て七箇日に散を名残を惜み、天照御神に祈り、被申ければ、三七日迄名残ありけり、君も賢王にてましませば神も神徳を輝かし、花も心ありければ二十日の齢を保けり」
花入は元禄時代に活躍した茶人の公武合作。織田貞置公に有楽流を学んで茶、琵琶、香をよくした元武士の土岐二三が造った竹の釣り舟花入。二三と交友した公家茶人の鷹司輔信が「春小駒(はるこま)」と銘を付けたものです。花はソメイヨシノに、アケビの蔓に咲いた花を取り合わせ、ギョリュウバイの朱を根締めに添えました。