味わう

味わう

一器・一花・一菓
〜李朝白磁の塩筍茶碗〜
ご無沙汰を詫びる

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その昔、冬の一日、ある侘び茶人宅を訪れた時に、初めて目にした塩筍(しおげ)の茶碗。話は茶が済んでからだとばかりに、侘び茶人は縁側にポットを置いて、大型の茶箱から、茶碗を出して茶をサラサラと立て、「まあ一服」。さらに「あったまるぞ」と別の茶碗で再服を勧めました。
 再服の茶碗は掌に気持ちよく収まり、温みが体全体に伝わってくるよう。冷え切った体が芯から温かくなる、縁側茶のもてなしでした。

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 壺形の茶碗は初めてだったので、しげしげ見ていると。「面白いだろう。この茶碗。ぶち割れだから威張れないが、この貫入、カイラギはどうだ。肌合い、釉の調子は井戸といっていいな。まあ、いうなら塩筍井戸だぞ」。なになに塩筍井戸? 「そんな井戸ってあるんですか」「そうさ、井戸ってのは茶碗だけでなく、香炉や徳利もある」「そうなんですね。でも。そもそも塩筍って、何ですか」「朝鮮では塩や味噌を入れる器だったのを、茶人が茶碗に見立てたものさ。寒い時期に喜ばれる。日本では唐津なんかでも焼いているな」

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それ以来、塩筍の茶碗に魅せられ、手ごろで見どころのあるのが一つほしいと探していたある日、陶磁器のまち岐阜県多治見市を訪れた折、「オリベストリート」の骨董店で出会いました。
「これいくらですか」「おっ、いいのに目を付けたな。李朝の井戸手だ。値打ちにしとくよ。◯万円」。財布を見ると、足りない。「もうちょっと、まからないですか」「いくらある。仕方ないな。箱もない裸だから、じゃそれでいい。店主は無造作に古新聞を塩筍を包んで、「ほら」。それをバッグに入れ、ホクホク顔で帰宅しました。


しばらく気に入って使ってましたが、社中の茶会で内心「井戸手だ」と大威張りで出してみたところ、なんの反応もなし。師匠だけが「ふうん、塩筍ね。珍しいね」と一言。それ以来、急に熱が冷めて、しまったままでしたが、能登地震のチャリティーオークションを内輪でしようと思い立ち、茶器を整理していたところ、この塩笥茶碗が出てきました。
久々の対面です。湯を通して、お茶をたててみました。すっぽりかかえるように持つと、寒さにかじかんだ手には、湯たんぽのよう。かすかに端反りした口は玉縁になっていて呑みやすく、お茶も冷めにくい。李朝の焼物らしいおおらかさもあり、惚れ直しました。「ごめんね」。ずっとしまいぱなしだった久闊(きゅうかつ)を詫びました。

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骨董の世界でいう、いわゆる井戸手ですが、李朝後期の民窯で焼かれた粗雑な白磁壺なのでしょう。厚手の白磁釉に覆われた器全体に貫入が出て、腰から高台にかけて、釉縮れが出て、一部カイラギ状になっていて、それなりに見どころがあります。
暦の上では間もなく立春ですが、しばらくは寒さが続きます。暖かくなるまで、長らくご無沙汰していた塩筍を手元において愛玩します。