味わう

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一器・一花・一菓
雲鶴青磁写し徳利
大橋秋二の風雅、津島の気概

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 青磁釉の徳利に、早春の畑で見つけた大根の花と有楽椿を投げ入れてみました。

 徳利は、尾張津島の出身で医術を生業にした趣味人、大橋秋二の雲鶴青磁写しです。フォルム、釉調がなんとも優美です。青味から暗い灰色に火変わりした青磁釉をまとい、胴半ばに沈線が巡り、裾はわずかに阿古陀(あこだ)形となって、手練れの陶工でも難しい技巧と思わぬ窯変が相俟って、独特の格調を生んでいます。

 秋二はその境涯の高さから尾張侯より御用陶器師として招かれましたが、これを辞したと言われます。御三家筆頭の殿様にもなびかない、趣味人秋二の面目躍如。この徳利に高雅な志が宿るようです。
 寛政7年(1795)、津島の製薬商の家に生まれ、大橋家に養子に入り医術を生業としました。茶や書画に親しみ、文政初期に(1820年頃)京都にでて尾形周平に陶法を学び、文人好みの瀟酒な陶器を作陶。晩年は独自の焼き物を目指し養老山麓に開窯し、気品のある「養老秋二」と呼ばれる茶陶を残しました。
 大橋家のルーツを探ると、その宗家は土豪名族の津島四家の筆頭。戦国時代の尾張国津島は、津島牛頭天王社(津島神社)を中心とした門前町、商業都市でした。その地の名族であった大橋氏は、武士であると同時に津島天王社の護持に当たる者であり、豪商でもありました。その一統である大橋茂右衛門は武将として世を渡り、後に松江の雲州松平家に六千石で仕えた筆頭家老となります。
 先年、百年ぶりに松江城隣に復元された松江最古の茶室「伝利休茶室」を訪ねたところ、津島にルーツがある大橋茂右衛門家ゆかりと分かり、驚きました。津島に在郷した大橋氏の末裔から、江戸後期に茶陶名人、秋二が出ました。

 織田家が天下に飛躍する礎を掴んだ「信長の台所」津島。時空を超えて繋がる数寄の歴史に思いを馳せます。