古流の教え⑧
地味系・蓋置「裏勝りの美学」
小刻み回しと、鷲掴みと
"世界遺産15世紀タイル"引き立て
口伝の有楽流点法
茶の湯の道具で最も地味な道具である「蓋置(ふたおき)」。釜の蓋を置いたり、柄杓を置いたりするときに使う脇役です。とりわけ風炉のしつらえでは、釜や敷板に隠れて客から最も見えにくい位置に置かれ、日陰もの同然。見逃されがち。拝見を請われること稀な、超地味な道具です。しかし、四百数十年の歴史を有する茶道の古流、有楽流では風炉、炉とも、この超地味系を瞬間、主役級に押し出す「裏勝りの美学」ともいえるシーンが、点前の中に組み込まれています。
織田家発祥の地で茶道有楽流の本貫地であった名古屋において、師弟相伝で受け継がれた有楽流。伝書には書かれていませんが、口伝の点前では序盤と終盤に、蓋置に客の視線を集めるように蓋置を扱う所作が登場します。あたかも「お見逃しなきように」と言わんばかり。
点前の出だし、亭主は身の前で小刻みに左に奇数回まわし、蓋置を都合一周超回して、蓋置の特徴、形状、在判の有無などをさりげなく客に見せます。終盤にも再び、蓋置は亭主の身の前で偶数回、右回転させ、いったん建水脇に仮置きします。様々な場面で陰と陽を踏み、「陰陽思想」が背後にあるようです。柄杓と建水を持って水屋に退出する際は、鷹狩り、さらに騎馬術をほうふつとさせる所作をします。
とりわけ、柄杓を横に構えた右手に蓋置を持たせる際は、鷹狩りに見立てられ、ツメを隠した鷹が獲物に襲いかかるようにパッと鷲掴みします。こうして二度、三度と、蓋置はお客の目を引くことになります。
無地や地味な柄が多い男性の着物で、裏地や襦袢などの見えない部分をオシャレをする「裏勝りの美学」。そんなダンディズムと一脈通じるような気分が、そこにはあるようです。
客の注目を集めるシーンが二度、三度ある蓋置ゆえ、端役とはいえど、ゆるがせにしないのが亭主の心意気です。
案の定、有楽流拾穂園による第4回三英傑茶会信長席(2024年10月13日、名古屋城茶席)では、見立ての蓋置に対して、席のたびに拝見所望があり、常に注目を集めました。
この日用いたのは、「サマルカンド土産」の三色タイルです。中央アジア、古来シルクロードの要衝として栄えたウズベキスタンの古都サマルカンドを訪ねた折、現地の骨董店で入手したものです。世界遺産のレギスタン広場の壮麗な建物を飾る「サマルカンド・ブルー」と呼ばれる鮮やかな濃淡のブルーを基調とした三色タイル。超国宝級の建物から自然剥落した15世紀とおぼしい、貴重な壁タイルの残欠。もちろん正規の手順を踏んで日本に持ち帰りました。その経緯は稿を改めたいと思います。
ともかく、お点前に席中の注目が集まる序盤、異国情緒たっぷりの色タイルが建水から出されて、道具畳に小刻みに回転させられるたび、お客の視線がぐっと収束してゆくのを、感じました。
一つひとつ吟味した道具の取り合わせに、見立ての道具をいかに効果的に組み込むか。亭主の遊び心、センスが滲みでます。箱書き、伝来、由緒のある道具をいくら並べても、どこか物足りなさを感じます。あれこれ苦心して取り揃えただろう道具組の背後に、席主のお出入りの茶道具屋の顔が浮かぶことがあります。道具に精通した道具屋に相談するのはいいけれど、季節感に頼り切った取り合わせだと、ああ残念。溜め息がでて、興が削がれることがあります。何かしら亭主の思い出が詰まっている道具が入り、茶趣にピタッと合致していると、茶会は奥行きが出て血が通うように感じ、がぜん楽しくなりますね。
お客の中に「私もサマルカンドに行ったけど、そんなタイルは売っていなかったわ」と悔しがる人がいました。そりゃそうでしょう。自然剥落品ですから、運不運があります。ただ、茶人は常にお茶に使えないか、虎視眈々でないと、見立ての道具には行き当たりません。わたしはツイてたようです。そんな言葉は心にしまって「そりゃ、残念でした」。