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拾穂園日乗 〜旧数寄屋 取り壊し〜 郷村の風流三昧浮き彫り

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愛知県稲沢市の拙宅拾穂園の母屋の裏に、廃屋となった旧数寄屋があります。いよいよ取り壊すことになり、先日来、ぼつぼつ片付けをしています。先祖の日記では「裏の席」と呼ぶ数寄屋は、北に四畳半の茶室、南に12畳間と屋根裏部屋があります。戦後は使われることなく、家財の放り込み部屋同然。半世紀以上、家族の誰もが立ち入ることなく、屋敷のうちの一種のミステリーゾーンになっていました。

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取り壊しが決まって、時が止まったままの旧数寄屋の片付けを先日からぼつぼつ始めたところ、部屋を埋めた長持やタンス、木箱などから、明治から昭和期の物が、出るわ出るわ。愛知県尾張地方の郷村の旧家の暮らしぶりが、タイムカプセル状態になっていたのです。

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藩政時代から尾張地方は郷村であっても、男子がお茶やお花を嗜む風があって、ちょっとしたお屋敷に茶室や土蔵があるのは当たり前でした。拙宅にも数棟の土蔵と茶室があって、レトロな茶道具や花器が一部、母屋にもあるにはあったので、ご先祖の婦女子が茶と華道をたしなんでいたのだろうと思っていたところ、数代前の戸主23歳の大正5(1916)年の日記が出てきて、戸主のたしなみだったことが裏付けられました。

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お茶は表千家堀内流、生花は松月堂古流。徒歩圏にある宗匠宅に定期的に習いにゆき、自宅茶席で茶や花の稽古に励んでいる様子が分かりました。「茶道筌蹄(ちゃどうせんてい)」全巻や、生花の伝書筆写や免状がかなり出てきたので、けっこう熱心に取り組んでいたようです。


謡曲を習ったり、読書に励んだり、住職が囲碁仲間だったのか、しょっちゅう寺に遊びにゆき、囲碁を数局を打ったり。最寄りの商店街、時に名古屋まで買い物に出かけたり。漢籍の四書五経に始まる古典だけでなく、高価な全集本を定期購読したり。俳句を詠んだり、絵画同好会に入ったり、芝居や活動写真を見に行ったり。往時の田舎紳士とその妻が購読した雑誌や本がおびただしく残っていました。

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旧大名・重臣の払い下げでしょうか、大名級の堅牢、特大の長持ちや、大ぶりの行器(ほかい)も出てきて、驚きました。太平洋戦争後の農地解放で困窮したのか、金目のものはあらかた売却したのでしょう。大したものはなかったのですが、冠婚葬祭を自宅でした名残り、お膳、お盆、お重、陶磁器、漆器は10脚、20脚単位で残っていました。古着もおびただしくありました。
地盤の不同沈下で傾いた土蔵一棟も、同時に取り壊しにかかるので、まだ何か出て来るかもしれません。明治時代の遺品もまとまって出てきました。別の機会に報告したいと思います。