追悼 小澤征爾さん
第1回SKF衝撃の「エディプス王」
ワセオケ"春祭"熱血
語り継ぐ伝説のタクト
世界的指揮者の小澤征爾さんが2024年2月6日、お亡くなりになりました。88歳でした。
小澤さんは数々の伝説的な演奏を残しましたが、私(長谷義隆)も今も語り継がれる伝説的なシーンに何度か出会いました。
最初は1978年。アマチュアオーケストラの雄、早稲田大学交響楽団はこの年、ベルリン・カラヤン財団主催の第5回国際青少年オーケストラ大会(通称カラヤン・コンクール)に優勝。山本直純・小澤征爾の"友情の記念碑"とされる伝説の音楽番組「オーケストラがやって来た」に、小澤さんの指揮で出演しました。
当時、早稲田で学生生活を送っていた私にとって大好きな番組でした。学内の大隈講堂に通りかかると「オーケストラがやって来た」収録中の張り紙がありました。どうしても見たくなって、収録の休憩だったのか、人が出入りするのに乗じて、講堂内に潜り込みました。
なんと、長髪、丸襟の白シャツを着た小澤さんが指揮台が立ってました。通しリハーサルを終えて休憩後だったのでしょう。ダメ出しが始まりました。曲は、20世紀音楽の扉を開いたとされる傑作、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」でした。変拍子を多用する強烈なリズムと色彩の渦。当時、アマチュアオケでは手に追えない演奏至難の難曲を、小澤さんが指揮すると、こんがらかった響きがまばゆいほどの光彩を放ちながら強い推進力をもって造形されてゆくのです。その鮮やかな指揮ぶりに、驚かされました。学生オケとみくびっていましたが、指揮者のタクトに俊敏に反応するワセオケの実力にも目を見張りました。
一通りダメ出しが終わると、再び通し演奏が行われました。最終の「生贄の踊り」で、生贄の乙女が息絶えるシーン。フルートが断末魔の悲鳴を奏すると、曲は劇的にスパッと切断されて終わりました。ゾクゾクして聴いてました。
小澤さんの指揮のすごさを生で感じた最初の経験でした。
ワセオケはこの年、ベルリン・カラヤン財団主催の第5回国際青少年オーケストラ大会(通称カラヤン・コンクール)に優勝。この収録演奏は、1913年創設のワセオケの歴史にとっても記念すべき出来事だったようで、団のホームページの楽団史の特筆事項として載っています。
78、79年はワセオケにとって黄金期。「79年は早稲田大学よりカラヤンコンクール優勝の功績に対して、小野梓記念芸術賞受賞。フランス・スイス演奏旅行、フランス・エヴィアン音楽祭に参加、アレクシス・ワイセンベルク氏(ピアノ)と共演。早稲田大学による故ヘルベルト・フォン・カラヤン氏への名誉博士号贈呈式の際、カラヤン氏自らの指揮でリハーサルを行う」と誇らしげです。
1992年SKF ストラヴィンスキー:オペラ『エディプス王』。演出はジュリー・テイモア
もう一つ、伝説的なステージに立ち会っています。日本を代表する音楽祭「セイジ・オザワ 松本フェスティバル」の原点となった1992年(平成4年)9月の第1回サイトウ・キネン・フェスティバル松本(SKF)です。ストラヴィンスキーのオペラ「エディプス王」は、衝撃のステージでした。
長野県の松本駅に降り立つと、駅前広場にはためく音楽祭のフラッグ。街を挙げての大祝祭。あの有名な音楽祭の、第1回の華やかな開幕でした。
「エディプス王」のスタッフ、キャストは、今思えばとんでもない才能が結集しました。
演出には、後にブロードウェイで「ライオン・キング」を大ヒットさせるジュリー・テイモア、振付は日本舞踊の重鎮・花柳寿々紫、ゲオルギー・ツィーピンが美術、ワダエミが衣装担当。音楽的にも素晴らしく、題名役のフィリップ・ラングリッジをはじめ、王妃ヨカステ役のジェシー・ノーマン、王妃弟役のブリン・ターフェルら、それに関谷晋合唱指揮のコロス役、東京オペラシンガーズと晋友会合唱団が、弩級の歌唱を聴かましせた。小澤征爾総監督の指揮が圧巻であったのは、言うまでもありません。
女優の白石加代子の語りで始まった第一幕。カラスが飛び交い、疫病に冒されたテーベの地が浮かび上がります。仮面を頭上に載せたエディプス王(フィリップ・ラングリッジ)らが登場し、男声合唱との掛け合いで物語は進みます。当時世界のプリマドンナだったノーマンの王妃ヨカステは、白い衣装に身を包み、やはり仮面を載せて、強靭で豊かな歌声で会場を呑み込みます。悲劇的な結末に向かって、舞台は次第に盛り上がっていきました。
エディプス王役は暗黒舞踏の田中泯が同時に演じ、運命に操られる王の姿を不気味に表現しました。天井から大きな円盤が上下する大掛かりな舞台装置と、舞台をさまざまな表情に変える幻想的な照明。オーケストラの重厚な演奏とコーラスが相まって、記念すべき第一回の注目舞台が終演しました。バブル経済の余韻がまだ残っていた時代ですが、2公演だけでは勿体ないほど資金とエネルギーを注ぎ込んだ作品でした。映像とCD化され、世界24カ国でも放映があったそうです。後に、回顧の舞台美術展が開かれるほどの世紀のプロダクションでした。
カーテンコールでは、舞台に上がった指揮者小沢征爾さんや出演者、スタッフらに、いつまでも拍手が続きました。打ち上げパーティーには、山が動くような巨体を揺らせて現れたジェシー・ノーマン、笑顔満面の小澤征爾さんが参加して、フェスティバル感満載でした。
オペラ=オラトリオ「エディプス王」1992年上演時の舞台 (C)1992SKF
翌日は、槿花一朝のごとし。あの壮麗な舞台装置がすっかり取り払われて、確かベートーヴェンの交響曲第7番を聴きました。最前列に近いほぼかぶりつきの席で、小澤さんの滴る汗が指揮台から降ってくるようでした。休憩中のロビーで、着飾った夫人が「宅に小澤様がいらした時、お飲みになったグラスを洗わずに、大事にとってありますの」などとシャペンを片手に語っているのを聞いて、熱烈なセイジファンには汗シャワーはたまらないかもしれない、なと苦笑した記憶が蘇ってきました。

2006年7月の小澤征爾音楽塾のマーラーの交響曲第2番「復活」も、とても素晴らしかったです。名古屋公演が全国公演初日だったため、会場の愛知県芸術劇場コンサートホールであった前日のゲネプロも聞いたのですが、若い音楽家育成のためのプロジェクトで、ゲネプロで小澤さん指揮するオーケストラは完全燃焼。本番はもっとすごくなるかと、期待したら、意外にクールダウンして、ちょっと肩透かしでした。コントラルト:ナタリー・シュトゥッツマンが絶唱でした。
小澤さんは日本人未踏だったクラシックの世界の檜舞台を切り開いて、長年活躍する一方、若い才能をしっかり育てました。今、その薫陶、息吹を受けた音楽家がクリシック界をリードしているのを見ると、偉大な献身的な努力には頭が下がります。
合掌。
WEB茶美会編集長 長谷義隆