知る・学ぶ

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深川秀夫のバレエ世界に脚光
「ソワレ・ド・バレエ」名古屋3団体競演
佐々部佳代さん独立初公演 質高く
ダンサーを鼓舞し愛する作品群

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世界水準のバレエ作品を数多く創作した振付家の深川秀夫さん(1947〜2020年)の代表作の一つ「ソワレ・ド・バレエ」が、没後3年がたった2023年秋の名古屋のバレエシーズンで相次いで上演されています。ダンサーの資質を伸ばし愛する深川さんの作品群が、一過性の追悼公演で終わることなく「現代のネオクラシック」として上演が定着されることを願いたいと思います。

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熊川哲也さん率いるKバレエカンパニーで主役も踊った実力派、佐々部佳代さんが独立。新バレエスタジオ「BALLET STUDIO CHLOE(クロエ)」の開設後初の本格的な公演を2023年9月29日、名古屋市芸術創造センターで開き、予想外に高いレベルで追悼上演を果たしました。


この後も、深川さんが芸術監督を長く務めた「テアトル・ド・バレエカンパニー」が「ソワレ・ド・バレエ」を6年ぶりに11月26日、愛知県芸術劇場大ホールで再演します。コロナ禍の3年間定期公演を中断していた老舗の松岡伶子バレエ団は12月10日、同じ劇場で「ソワレ・ド・バレエ」を同団としては初めて上演します。全幕バレエ「ジゼル」との二本立てで、古典と創作を両輪とする松岡バレエがようやく再起動します。

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ソワレ・ド・バレエは、星月夜に繰り広げられるバレエによるソワレ(夜会)の世界。日本人バレエダンサーとして初めて欧州の主要バレエ団で活躍した伝説の舞踊家、深川さんが帰国後、アレクサンドル・グラズノフ作曲のバレエ音楽「四季」に振り付けた作品です。新国立劇場のホームページによると、1983 年初演とされ、その後、改訂を経て、1990年ごろには今の形になったと見られます。


原典のバレエ「四季」はマリウス・プティパの演出で1900年にロシア・サンクトペテルブルクのエルミタージュ劇場で初演されました。ロシアの四季を幻想的に描くプロットレス・バレエ(物語らしい筋書きを持たない抽象的なバレエ)の先駆けとも言われ、深川さんはロシアの四季を彩る風物、草花を満天の夜空に輝く星たちに読み替えました。20曲近い小品からなる音楽をもとに、恒星や惑星、星座を擬人化して、抒情的で煌めくシンフォニックバレエに仕立てました。

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出演は、佐々部さん・長谷川元志さんのペアなど主役級の男女5組のペアと、群舞にも合流する女性ソリスト2人、コールドバレエ10人の22人。詩情あふれる雰囲気の中に、秘められた力強いエネルギーと優しさ、コケティシュなエスプリを織り交ぜた、華やかでお洒落な作品です。
深川さんは音楽を音符ひとつまで克明に振り付けて、音楽に感応、共振する作風ですが、ダンサーにしっかりしたテクニックと感性がないと、外形を踊るのに一杯いっぱいになってしまいます。微妙なニュアンスや特有の香気、ユーモアはその上で醸し出されるものですが、佐々部さんはテアトル・ド・バレエカンパニー時代、深川さんの薫陶を受けた経験があり、その真髄を体現。長谷川さんとの相性もよく、持ち前の豊かな音楽性を発揮して、踊る喜びと光輝に満ちた舞台姿が、印象的でした。

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大久保沙耶さんと檜山和久さん、下村由梨香さんと浅井敬行さん、松尾ミチルさんと野々山亮さん、谷口玲央さんと奥田丈智さんのペアはそれぞれ個性的で、深く、美しく、軽やかに、それぞれの感性と長所が生きた踊りでした。


深川さんの信頼厚かった照明の足立恒さんが、陰影、色彩、ニュアンスに富んだ照明で、バレエシーンに合った星空下の夜会の雰囲気をつくっていました。


佐々部さんは踊るだけでなく、現役ダンサーとして活躍する人脈を使って、適材適所の人材を起用するプロデューサーの能力にも長けていると見受けました。2021年のスタジオ開設と日も浅く、踊れる手勢は自身と2人の講師しかいない中、地元名古屋はもとより、東京や関西から有能なダンサーを選抜。ゲストとともにこの日のための一座を組みました。

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初日のプログラムの前半は、グランパドドゥや「海賊第二幕」の抜粋上演がありました。このうち注目されたのが、大川航也さんと寺田翠さんのペアでした。二人は、国際的なバレエコンクールで数々の受賞歴があり、ロシア屈指の水準とされるノボシビルスク国立オペラ・バレエ劇場などで活躍するも、ウクライナ侵攻が続く中、2022年帰国。ロシアバレエの伝統を体現した二人の「タリスマンのグランパドドゥ」は、超絶技巧の応酬と調和を繰り広げ、客席を沸かせました。

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大川航也さんは、海賊のアリ役も踊り、超絶の大技、名人技を取り混ぜた高い跳躍と美しい飛型。何より役を生ききる舞台魂を見せて、頭抜けていました。メドゥーラ役の中村春奈さんの可憐さも光りました。

深川作品が死後も「日本発の創作バレエ」として生き続けている陰には、照明の足立恒さんが代表を務める『深川秀夫の世界』を継承する会の存在があります。
多くの舞台をともにしてきた友人たち、足立さん、舞台監督の森岡肇さん、ミュンヘン時代からの友人ピアニスト中埜ユリコさん、そして遺族代表の深川友巳さんを中心に継承する会が発足。著作権管理と上演品質を担保する組織です。日本のバレエ作家の作品は死後、著作権管理があやふやで、再演しようと思っても作品継承者が分からず、お蔵入りになってしまうことが課題でした。継承する会は、その課題に挑み、クリアしました。
深川さん直伝の振付、演出を知る舞踊家大塚礼子さんがみっちり再振付したのでしょう。香り高い深川作品に仕上がっていました。

「周回遅れの追悼公演」と、言っては失礼でしょうが。故人の同じ創作バレエが競合3団体の主要ステージにかかるのは名古屋では初めて。たとえ声価が高い作品であっても振付家本人が死んだら再演はまれ。日本のバレエ界では異例なことなのです。深川作品は没後も名古屋のみならず各地で上演が続いております。あらためて深川さんのレガシーがいかに大きく、多くの舞踊家から敬愛を集めていることが浮き彫りになりました。

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深川さんは1947年名古屋に生まれ、育ち、14歳で越智實さんに師事し、またたくまに才能を開花させた天賦のバレエダンサーでした。18〜23歳で世界最難関のヴァルナ、モスクワの両国際バレエコンクールに上位入賞を果たし、東ベルリンの子ミッシェオーパーを振り出しに西ドイツのシュツットガルト・バレエ団、バイエルン国立歌劇場バレエ団とソリスト契約し、主役級として活躍。1976年には、米メトロポリタン歌劇場の米国建国200周年ガラコンサートに、バリシニコフ、マカロワら世界一流のダンサーとともに出演したほか、ロンドン、パリなど世界各地のガラ公演に出演しました。
世界のトップダンサーとして活躍し、日本人ダンサーの海外進出への道を切り拓いたパイオニアでした。

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1969〜1980年の海外生活を経て、33歳で帰国。彼は輝かしいドイツ時代の活躍をほとんど語ることなく封印。帰国後はいっさい公職に就かず、日本の主要バレエ団に関わることもなく、在野に徹した舞踊家、振付家でした。関西、名古屋などの気心が知れた中小のバレエ団やバレエ教室に作品を提供したり、踊ったりした深川さん。在野で地方中心の活動に徹していたことにより、バレエの現場での評価は高くても、中央での認知が遅れたことは否めません。


ただ、世界水準にある深川作品は、民間任せにすることなく、国公立劇場がもっと同時代の名作バレエとして積極的に上演すべきだと思います。かろうじて新国立劇場は、プリンシパルダンサーに名古屋育ちで深川さんの息吹に触れた米沢唯さんがいる関係で、深川さんの晩年に作品の一部を上演しましたが、地元愛知県、名古屋市の公共劇場に至ってはほぼ皆無。特にパフォーミングアーツの創作に力をいれる愛知県芸術劇場は、深川さんをあたら「ローカル枠」と捉えていたのでしょうか。主催公演は、2007年に大寺資二さん、窪田弘樹さんほかダンサー25人をオーディションで選抜して上演した『ガーシュイン・モナムール』一作のみ。3本立ての一本という扱いでした。以後、深川さんの出番は公共ホール主催、バレエに強みがある東海テレビの主催公演でもないまま。
ゆかりのバレエ関係者の間で追悼公演が続く深川作品の上演を一過性に終わらせず、「現代のネオククラシック」としてぜひ定着させていってほしいと願います。
(WEB茶美会編集長・長谷義隆)

 舞台写真 @jin kimoto