知る・学ぶ

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一器・一花・一菓
御本立鶴が呼び覚ます武勇伝⁉︎
徳川園瑞龍亭 席披き秘話

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 初釜の祝いに相応しい薄茶碗といえば、御本立鶴(ごほんたちつる)。福寿のシンボル・鶴を歌った御宸翰色紙をメインの掛け軸にしたことに呼応して、選びました。

 ほんのり赤みを帯びた肌がなんとも気品があり、ひっくり返りそうなヘタウマの鶴を象嵌。愛嬌のある令嬢といった風情でしょうか。徳川三代将軍家光が寛永16(1639)年の大福茶に細川三斎の喜寿を祝おうと鶴の下絵を描き、小堀遠州を通じて朝鮮・釜山の倭館窯に注文して焼かせたといわれます。数ある御本茶碗の中でも人気の作。本作は、何度目かの注文の出来らしく、初窯の「本手」に比べてひとまわり小振りです。土見せになった割り高台に一筋釉薬が雪崩れ、縮緬皺が出た胎土の味わいはひとしおです。

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 この茶碗を手に入れてから四半世紀。最初に用いたのが約20年前。名古屋市が尾張徳川家の大名庭園を再現した「徳川園」が、名古屋市東区の徳川美術館の隣接地に開園した折でした。

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 池泉を臨む小高い丘に完成した、有楽流好みの茶室「瑞龍亭」(3畳台目)の席披露で、初使いしました。かつては尾張徳川家で重用された有楽流に因み、有楽好みの様式を取り入れたいというので、名古屋市側から相談を受けた老齢の師匠を私が補佐した経緯がありました。
 今、思えばまことに拙い道具組みでしたが、この立鶴だけは光っていたらしく、茶どころ名古屋を代表する目利き茶人が垂涎の表情でしげしげ鑑賞して「伝来は?」「はい、○○家の蔵番があります」などと問答したことを思い出しました。

 席披露を口切りに、瑞龍亭は一般開放され、市民の利用ができるようになりましたが、実は、名古屋市の担当部局は当初「庭園の景色として茶室を作った。見てもらうだけで、一般利用は考えていない」の一点張りでした。水屋、外腰掛まで備えた茶室を「見学オンリー」にするというのです。
なんとも理解不能なお役所仕事に憤り、私は「使ってこその茶室」と新聞紙上で名古屋市の姿勢を問題提起。これを機に市民の批判が高まり、名古屋市が折れ、ついに席披きにこぎつけたのでした。
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              (瑞龍亭の点前座、徳川園市民茶会の様子)

 ヘタウマの鶴によって、これまで口外したことがなかった武勇伝?が思い出されました。
かの目利き茶人に後日、箱書きを頼んで「御本立鶴」と墨書してもらいました。これまでその「御本立鶴」の貼り札を重厚な真塗の箱に貼ることなく、歳月が過ぎていましたが、今回、思い出したのをきっかけに、箱表に貼りました。

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