知る・学ぶ

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「オーケストラ秘史発掘」に反響
WEB茶美会編集長が日本音楽学会で講演
突っ込んだ質疑応答
愛知県芸大に寄贈された丹羽秀雄遺品

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 「オーケストラ秘史発掘〜松坂屋少年音楽隊楽士の軌跡をたどり」と題して、WEB茶美会編集長で元中日新聞編集委員の長谷義隆さんが2022年12月3日、愛知県長久手市の県立芸術大学で開かれた第135回日本音楽学会中部支部定例研究会にゲスト発表者として招かれ、講演をしました。

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 東京フィルハーモニー交響楽団の母体となった松坂屋少年音楽隊出身のバイオリン奏者丹羽秀雄(1909〜91年)の軌跡を縦糸に、近代音楽史の知られざる史料を掘り起こし、読み込んで、同時代のさまざまな資料と付き合わせて、日本のオーケストラ黎明期から成長期の楽団と人間ドラマを立体的に浮かび上がらせました。

 コロナ禍第8波の折から対面&オンラインの同時開催でしたが、会場には遠方からも研究者が駆け付け、長谷さんに対して活発な質疑応答があり、盛り上がりました。

C43299EE-C95B-49AB-80A4-4A06490FD6E1.jpg いとう呉服店少年音楽隊(松坂屋少年音楽隊の旧称)出身で浅草オペラやエノケン楽団の音楽指揮で活躍した栗原重一を軸に当時の楽士・楽団の研究を手掛ける名古屋外国語大学の白井史人准教授は「活動写真館のオーケストラピットが映った写真は初めて見る。とても興味深い」と、無声映画時代の映画音楽伴奏のありようについて突っ込んだ質問がありました。
 NHK大阪放送局の大阪放送管弦団の事績を研究する大阪音楽大学の西村理教授は「長谷さんが今後の研究課題に挙げたNHK名古屋放送局の放送管弦楽団についてもっと知りたいが、今回、全然分からなかった名古屋の戦後の放送オーケストラ事情が知ることができて収穫だった」などと話していました。
長谷さんに対しては、研究セッションへのオンライン参加の打診があるなど、反響を呼びました。

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 定例研究会の司会を務めた愛知県立芸術大学音楽学部長で音楽学者の安原雅之教授は「著書は読んだが、実際に生の話を聞くと迫力があり、違う。大変よかった」と締めくくり、賛辞をおくっていました。
 遺族から資料一括、愛知県立芸術大学へ寄贈にした経緯ついて、奔走した学校法人同朋学園評議委員の田中民雄さんが「近現代の貴重な音楽資料が寄贈されるまでの経緯」と題して、同時発表しました。

 長谷さんの講演骨子は次の通りです。

「日本のオーケストラ 名古屋に源流 新発見の写真・手記 20世紀もう一つの軌跡に光」。そんなキャッチコピーを帯にした『発掘レトロ洋楽館 松坂屋少年音楽隊楽士の軌跡』(あるむ)を出版しました。
作曲家・指揮者山田耕筰、世界のテノール藤原義江、欧米を席捲したプリマドンナ三浦環‥ 20世紀を代表する音楽家たちが信頼を寄せたオーケストラ奏者がいました。名古屋市生まれの丹羽秀雄(1909〜91年)です。
意外なことに、大正~昭和前期、名古屋は東京と並んで日本のオーケストラの源流地でした。これまで埋もれていた日本のオーケストラ黎明期の実像、内幕が、松坂屋少年音楽隊(日本で最も歴史のあるオーケストラ、東京フィルハーハーモニー交響楽団の母体)出身のバイオリン奏者、丹羽秀雄が残した多数の音楽写真と手記を発掘。これを手がかりに、入念な取材、調査によって浮かび上がらせました。
名古屋で産声をあげた少年音楽隊がオーケストラへと成長する洋楽勃興の時代、バイオリンを引っ提げて名古屋、東京、満州(中国東北部)と渡り歩いた波乱の足跡は、激動の20世紀の知られざる歴史を照らし出します。
本書では、中日新聞で長く舞台芸術を担当した私の新聞社時代の朝刊文化面連載と、丹羽秀雄の回想手記「古稀回顧」全文をまとめました。日本の洋楽受容の歴史に詳しい井上さつき愛知県立芸術大学教授(当時)は「貴重な音楽史料」「今後の調査、研究の基礎となる」と本書を高く評価しております。

グラビアには、初公開を含む日本オーケストラ黎明期の写真20数点を掲載。このうちの一葉は、当時の腕利き奏者を集めた満洲国建国10周年慶祝交響楽団の一行の1942年9月25日の記念写真。日本のオーケストラの演奏向上に貢献して満洲で客死したヨゼ・ケーニヒ(1875〜1932年)の墓を訪れた際に撮影され、同楽団を率いた山田耕筰やチェリスト齋藤秀雄らともに、丹羽も一緒に記念撮影に収まっていたことが判明しました。この件は、続いて報告する田中民雄さんに譲ります。丹羽秀雄が日本の楽壇において知る人ぞ知る存在でした。他にはない貴重な音楽写真を多数収録。丹羽愛用のバイオリンを含め資料約300点を一括、2022年11月17日に愛知県立芸術大学に対して遺族より寄贈、今後の更なる調査研究成果が期待されます。

① 私の取材スタンス「これはと思ったテーマは、粘り強く、関心を持ち続ける」
② 知識、人脈を培って、タイミングを捉える
③ 取材対象の言うことを鵜呑みにしない。定説、権威に対しても腑に落ちないことがあれば疑ってみる
④ 松坂屋少年音楽隊に関心を持ったきっかけは30年前、東京フィルハーモニー交響楽団の名古屋定期公演
⑤ 井上さつき氏と愛知県立芸術大学音楽コースの「鈴木政吉プロジェクト」。政吉の幻の名バイオリン調査、天皇(当時皇太子)所蔵器の調査アシスト、井上氏コラムの反響。関心再燃
⑥ 2015年の一本の電話「バイオリンは父の遺品。父はいとう呉服店少年音楽隊の出身です」が発掘取材の端緒
⑦ 見たことがない大正時代から昭和前期の音楽写真が数十点。元NHK報道記者の三男宅に眠っていた
⑧ 元楽士丹羽秀雄の手記「古稀回顧」。松坂屋少年音楽隊の成長を内側から証言した新発見の史料
⑨ 丹羽秀雄とはどういう人物だったのか。
⑩ 明治末から大正時代に東京、名古屋、関西に生まれた少年・少女音楽隊。19。松坂屋、宝塚を残して姿消す
⑪ 洋楽熱が高まった明治末から大正時代、街中の楽士養成所は少年音楽隊だった。軍楽隊、東京音楽学校
⑫ シンフォニー志向の海軍軍楽隊から初代、2代楽長を迎えた松坂屋。吹奏楽バンドに弦楽が加わり管弦楽を演奏する
⑬ 「丁稚」扱い、5年任期だった少年楽士。丹羽秀雄の手記により音楽伝習法が判明
⑭ 松坂屋社史、同社の資料に依らない取材姿勢。地方新聞の記事、ラジオ番組欄、広告の活用。名古屋発行の「新愛知」「名古屋新聞」
⑮ 会社側視点では分からない内情、人間ドラマを探る。発足5年の1916年の楽士賃上げストライキと、会社側の全員解雇と懐柔策の再雇用。不満分子駆逐とガス抜き。2代楽長の野心など
⑯ 名称を出世魚のように変えた音楽隊。併称、外部出演の場合の変名も多かった。「ブランド」構築できず
⑰ シンフォニーオーケストラへの道、2代楽長早川弥左衛門の登場
⑱ 音楽写真資料の読み込み。立札、幕、出演者、会場などから手がかり。丹羽秀雄による写真裏書。当時の新聞記事、御園座や松坂屋社史などと照らし合わせて、演奏会を特定する
⑲ 同時代の音楽家の自伝、音楽雑誌を博捜する。チェリスト青木十良へのインタビューも
⑳ 中日新聞・東京新聞に初報、朝刊文化面で1ページ特集を組むも、資料提供の申し出ゼロ。当初20回の連載予定だったが、「唯一性が高い貴重な音楽史料」の確信持ち、連載長期化。週一回の連載を60回に
21 満洲国の国策放送局の楽団「新京音楽団」。不明なことが多いが、丹羽手記に森繁久彌とのエピソードも
22 戦前のオペラの管弦楽を担当したオーケストラ、演奏者の研究なされていない。三浦環の地方公演を受け持ったピアノ上田仁、バイオリン丹羽秀雄、チェロ齋藤秀雄のピアノ三重奏
23 昭和後半、地方放送局付き管弦楽団、合唱団。NHK名古屋放送管弦楽団・合唱団、CBC管弦楽団・合唱団
24 「グローカル」な視点。地域に密着した取材でありながら、地を這う蟻の目と空飛ぶ鳥の視野を併せ持つこと。さらに歴史を踏まえた観点から過去、現在、そして一歩先を見通す目を大切に。

田中民雄さんの「近・現代の貴重な音楽資料が寄贈されるまでの経緯」による寄贈品目録


1 主な寄贈品
1 丹羽秀雄(1909~91)手記「古希回顧」   1点
2 丹羽吉次郎(丹羽秀雄の父)小学校卒業証写し  1点
3 はがき 森繫久彌               2点
4 身分証明書 発行者 財団法人新京音楽団    1点
5 丹羽秀雄愛用の鈴木バイオリン(弓2本)    1点
6 丹羽秀雄所蔵写真アルバム2点    写真 約300枚
2 寄贈者 『レトロ洋楽館~松坂屋少年音楽隊楽士の軌跡』
バイオリン奏者 故丹羽秀雄氏(名古屋市出身)の遺族
3 寄贈先 愛知県立芸術大学

1966年 愛知県立芸術大学創立 音楽部音楽科、美術学部
1990年 愛知県立芸術大学管弦楽団創設(外山雄三氏指導)
1994年 大学院オペラ(複合芸術プロジェクト)開始
2016年 創立50周年

著書は税込2千円。ちくさ正文館など名古屋市内主要書店で。
本の問い合わせ NPO法人茶美会(さびえ)日本文化協会
「WEB茶美会」編集部 長谷 義隆(はせ・よしたか)

 email sabiejapan2021@gmail.com