知る・学ぶ

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「千利休生誕500年 息づく茶の水脈」
WEB茶美会・長谷義隆さんが講演会
利休の創造精神こそ「不滅」

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WEB茶美会編集長で有楽流拾穂園主の長谷義隆さんが、愛知県知多市立中央図書館の歴史講座講師に招かれ2022年11月12日、同館で「千利休生誕500年 息づく茶の水脈」と題して、講演しました。

コロナ禍第8波を懸念して、長いす1つにつき聴講者1人という入室制限をかけたため、聴講は30人弱に絞られましたが、地元はもとより名古屋市などからの希望者全員が出席。「全員が、しかも定刻前に着席したのは初めて。話はとても面白く、奥が深く、2時間でも足りないくらい」(加藤俊郎館長)という長谷さんの話に、聴講者は熱心にメモを取ったり、「信長による常滑焼の禁窯令をどう考えるか」「美味しい釜湯とは」などマニアックな質問をしたり。関心の高さを見せていました。

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長谷さんは茶道史に明るく、尾張地方の茶道の歴史を新たな資料を掘り起こしています。茶の湯の実践者として、自宅茶室・拾穂園で最近開いた炉開きや夕ざりの茶事の模様を撮影した映像をスクリーンに映し出して、伝統を受け継いで現代に続く茶会のフルコースの模様を披露しました。

「利休百首」を引用して「茶の湯とはただ湯を沸かし茶を点ててのむばかりなることと知るべし」という人が集い茶を飲むという、それ自体は日常茶飯の交わりに対して、精神性を付与し、芸術化した千利休の功績を紹介しました。

 豊臣秀吉とコンビを組んで桃山時代の茶の湯隆盛と、創造性あふれる侘び茶を創出、大成した利休の軌跡をたどり、その非業の死、没後の復権などについて、エピソードを交えながら話しました。

 伝えられている壮絶な利休の切腹の様子、むごたらしいさらし首などについては、歴史的な一次資料を欠いていることを指摘。利休の茶の心を教える数々のエピソードにも、侘び茶の原点に帰れとする利休の復権の時代に著された「伝聞の伝聞」の逸話が多いことに留意すべきだとしました。権力、権威に屈せず自分の美を貫いたとする利休を「茶聖」、理想化しようとする後世の加飾の可能性についても言及しました。

 利休は秀吉が心待ちにしていた庭の朝顔を摘み取って、茶室に一輪だけ生けたという朝顔の逸話についても、そもそも、朝顔は利休屋敷だけでなく、時期がくればどこでも見られたはず。初咲きの朝顔ならともかく、あちこちに咲いている朝顔を「ごちそう」にした本当に茶会が成り立つのか、疑問ではないか。むしろ、これが事実だとしたら、見ごろの朝顔を摘み取って、一輪のみ生けた趣向に、平民出の秀吉が天下を平らげたことに対して、皮肉とも称賛ともつかない寓意性を汲み取ることができるのではないか、と私見を披露しました。

 一方で、虚実ないまぜの利休像より、その美意識を宿した長次郎の楽茶碗や与次郎の釜、懐石道具など利休好の茶道具に「不滅のスタンダードの美」を見るべきだと主張。名物道具を飾って見る従来のお茶の常識を破って、「創って使う」新たな価値観を生み出した利休の創造精神を評価すべきだ、と強調しました。

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 (知多市大草公園の展望台大草城資料パネルより)

 

後半は、利休と生きたと時代が重なったを共にした知多半島ゆかりの茶人で知多・大草城主だった織田有楽斎、常滑城主水野監物守隆。さらに江戸中期以降、知多に根付いた千家傍系の久田流の侘び茶や、茶陶としては不遇だった常滑焼など、地元密着の話題で盛り上がりました。

 常滑水野氏の三代目であった水野監物守隆。地元ですら、ほとんど知られていな風流大名は信長に仕え、連歌、茶の湯を愛好した戦国武将。本能寺の変後、明智光秀についたため常滑城を追われ「城落去の後、山城国嵯峨に住し、慶長三年四月二十一日死す」とされ、隠棲後は風流三昧に過ごした様子が茶会記に伝えられています。

 長谷さんは、桃山時代の尾張地方の茶の湯の空白期を埋める茶人の一人として、もっと注目すべきだが、上方の茶会記に動静が散見されものの、いかんせん地元資料ないのが残念とし、水野監物時代の風雅の地元史料の発掘に期待をかけていました。

最後に「利休が実践した茶の湯の創造精神、どう現代に生かす」というテーマでは、利休高弟7人衆「利休七哲」の一人にも挙げられた織田有楽斎が利休の創造精神を受け継ぎ、創意工夫の独自の茶風を築いたことを紹介。WEB茶美会を運営するNPO法人茶美会日本文化協会が2021年11月、主催した有楽斎没後400年記念「茶美会第一回大茶会」は、その創造精神を汲んで、マンネリ化しがちな今日の茶を他の芸術ジャンルとの協働作業によって、どう活性化するか。これを狙って、4つの茶席、茶室内外の空間演出、ライブパフォーマンスを組み合わせた総合的な文化フェスティバルを展開したことを、動画を交えて披露しました。第2回開催に向けて、調整を図っているとの報告もありました。

 

 長丁場を飽きさせない工夫を凝らし、映像、動画を効果的に使用しました。

休憩後の冒頭では、日本伝統文化の茶道、書道の型の美に魅せられて、スペイン伝統のフラメンコと融合した加藤おりはさんの温故知新の映像作品 Oriha Kato WABI-SABI PROJECT 3(文化庁補助金助成)を上映し、NPO法人茶美会が提唱する日本文化を起点に新たな芸術創造をアピールしました。茶美会が主催して12月21日、名古屋能楽堂で開催する五十鈴たたら舞・ギター音楽・スペイン舞踊の異色のコラボ公演「弦・踏・舞」の告知もありました。

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 質疑応答では「信長による常滑焼の禁窯令をどうみるか」との地元らしいマニアックな質問が出ました。長谷さんは「信長の禁窯令があったかどうか、史料に欠けるが、織豊時代、常滑焼が下火になっていたのは確か。茶の湯の興隆期に常滑焼に名物道具がなかったのは、常滑焼にとって不運だった」などと答えていました。

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