知る・学ぶ

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万葉抄
蕾に注目「擬宝珠」
金助母の願文に思い

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 梅雨時から初夏にかけて、淡紫色の管状花を咲かせる擬宝珠(ぎぼうし、ぎぼし)。
名前の由来は、蕾の姿が伝統的な橋や神社、寺院の階段、廻縁の高欄の柱の上に設けられている飾り「擬宝珠」に似ていることから付けられたそうです。
以来、花より蕾に注目するようになりました。

 

 擬宝珠といえば、古来知られれた銘文があります。

 天正十八年二月十八日に 小田原へのご陣
堀尾金助と申す十八になりたる子をたたせて
より またふた目とも見ざる悲しさのあまりに
今 この橋をかけるなり 母の身には落涙とも
なり 即身成仏したまへ
逸巖世俊(金助の法名)と 後の世のまた後まで
この書き付けを見ろ人は念仏申したまへや
三十三年の供養なり

 天正十八年、豊臣秀吉の小田原攻めの折、病気の夫の代わりに18歳の息子堀尾金助を出陣させた母は、名古屋・熱田の裁断橋まで金助を見送りました。夫は病死、さらに金助も戦病死。帰ってきたのは兜と一握りの遺髪だけでした。

 天涯孤独の身となった母は、悲しみの日々を過ごす内に「金助だけではない、大勢の若者が戦を恨み、悔しがって死んだに違いない」と、有縁無縁の供養を思い立ち、息子との最後に別れた裁断橋の修繕を発願し、私財を投げうって翌年完成しました。歳月を経て三十三回忌に当たり、母は再び裁断橋を架け替えて、この「後の世のまた後まで....」の願文を擬宝珠に刻んで残したのです。


 深い悲しみを、怨讐を越えた慈悲の心にまで昇華させた、母の思い。擬宝珠の蕾に、そんな思いを重ねてみました。

文・写真 内藤 啓