知る・学ぶ

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雪舟、若冲、応挙‥‥日本美術きら星の代表作
中国絵画の精髄・宋元画も
「相国寺展―金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史」
国宝・重文なんと45点
愛知県美術館で開幕

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雪舟、探幽、若冲、応挙‥‥。日本美術の巨星たちの代表作がオンパレード。中国絵画の精髄、宋元画の名品がずらり 。伝来の名宝だけでも満腹のところ、さすが日本有数のお金持ち寺院、近年収集したコレクションも一級品。国宝、重要文化財あわせて45件という大規模展「相国寺展―金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史」が2024年10月11日、名古屋市東区の愛知県美術館で始まりました。11月27日まで。

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子寺に世界文化遺産のかの金閣寺、銀閣寺を有する京都・相国寺(しょうこくじ)の承天閣美術館開館40周年記念をうたったこの展覧会。お茶好き、道具好きで有名な大コレクター「大龍窟」こと、相国寺派管長の有馬頼底さんが肝入りでつくったのが同館。相国寺派の名宝を収蔵する門外不出の美術、工芸品を一挙出展。東海地方ではこの秋、最も注目される展覧会の一つです。

 chamaru_a.jpg前日10日にあった関係者向け内覧会に、WEB茶美会も乗り込みました。

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驚きました。のっけから、荘重な法要が執り行われました。初代の夢窓疎石(1275~1351年)、実質開山の春屋妙葩(1311~1388年)をはじめとする歴代住職や、絶大な支援者だった室町幕府三代将軍・足利義満らの肖像画(頂相)がずらっと並ぶ第一室。内覧会に先立って僧侶13人が整然と並びたち、宗務総長で承天閣美術館管長の佐分宗順師が読経の流れる中、歴代住職の頂相に向かって、五体投地の拝礼をしました。両手・両膝・額(五体)を地面に投げ伏せて祈る、仏教でもっとも丁寧な礼拝です。中世禅院を思わせる粛然とした気が展示場に満ちます。

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愛知展は、来年春にある東京展にさきがけて行われる、封切り展。相国寺派がこの展覧会をいかに重視しているか、荘重な法要催行からも伺われます。

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京都の名刹、相国寺は、今も京都の地、御所の北側にその大寺の威容を誇る14世紀末創建の禅寺。絶大な権力を持った三代将軍、足利義満の別荘だった金ピカの金閣(鹿苑寺)。

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政治を避けて文化に耽溺した八代将軍義政が営んだ山荘、しぶ好みの銀閣(慈照寺)は、ともに相国寺の子寺。拝観者数は近年明らかにしていないようですが、コロナ禍前は金閣、銀閣の両寺で年間延べ1,000万人を超す拝観者がありました。外国人観光客が急増した現在は、さてどれくらいでしょう。拝観料だけでもものすごい収入がある、日本有数のお金持ち寺院であることは想像に難くないところ。

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WEB茶美会子は金閣寺こそ修学旅行で行ったきりですが、銀閣寺は現代に続く茶道、香道、花道などの芸道の源流となった東山文化発祥の地。何度も行きました。貧者の一灯も積もれば馬鹿にできません。展覧会のサブタイトル「金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史」に、拝観料、お賽銭という形で貧者の一灯をともした一人として、何やら誇らしくもあります。

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室町将軍のなかで最も力のあった三代将軍の足利義満が、夢窓疎石(1275~1351年)の生前の提言をいれて1382(永徳2)年に新寺建立を発願。室町将軍家と京都五山禅林の最大勢力であった夢窓派とが手を結び、夢窓疎石の衣鉢を継いだ春屋妙葩(1311~1388年)を実質開山として創建された禅寺です。

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大伽藍にふさわしい、巨大な絵画群に圧倒されます。とても内容充実した図録が製作されましたが、なぜか本紙寸法が欠落しており、正確な大きさはわかりませんが、縦3メートル超の大幅が目白押し。日本と中国の巨匠たちの筆になる大作の数々を目の当たりにすると、室町将軍家と蜜月だった相国寺の絶大な力を思い知らされます。

五山の禅寺、とりわけ室町将軍家が庇護した相国寺では顕著ですが、僧侶たちが修行の一環として自ら絵や書に親しみ、彼らの多くは中国に留学して大陸の最先端の文化を修め、一流の学者であり文化人でもあったのです。中には芸術の才に抜きん出て、室町幕府の御用絵師「画僧」として名を残す僧侶もいました。如拙と周 文です。有名な画僧を慕って、絵師たちが相国寺に集まるようになり、寺自体が一種の文化サロンになりました。
室町水墨画の巨匠と称される雪舟。江戸時代の相国寺文化に深く関わった狩野探幽。奇想の画家・伊藤若冲、原在中、円山応挙...。寺院と交流を持った絵師たちは作品を寺院に数多く収めたため、益々コレクションが充実。

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時代を通じ、相国寺は禅文化の拠点として、大陸からの文物を輸入し、芸術家を育て、名作の誕生を導いたことが分かる展示構成です。中世に規範を得た相国寺文化サロンとも言うべき美の営みは、近世、近代、現代へと時を繋ぎ、相国寺、鹿苑寺、慈照寺が所有する美術品は相国寺境内にある承天閣美術館で公開されてきました。

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戦後最大の美術品コレクター萬野裕昭さんが集めて作った「萬野美術館」旧蔵の優品200点も、承天閣美術館が「寄贈」という形で入手していたことを、本展ではじめて知り、驚かされました。萬野旧蔵品では、「重要文化財 伝俵屋宗達《蔦の細道図屏風》 江戸時代 17 世紀 相国寺蔵」などがそうです。

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画僧の伝統を受け継いだ近代相国寺の名僧、橋本濁山が収集した遺愛の書画や、有馬頼底さんの「大龍窟コレクション」も陳列。相国寺に時を経て帰ってきた雪舟の仏画など、有馬頼底さんの収集熱のほどが伺え、興味深いものがあります。
 WEB茶美会が注目した名宝を順次紹介します。

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「砧青磁茶碗 銘雨龍」
朝顔型に大きく開いた形状で、青磁釉が何重にも掛かっている。外側の釉溜を「雨雲」に、貫入を止める「鎹(かすがい)」を龍にみたてて、付けられた銘でしょう。箱書付によると、鹿苑寺(金閣寺)二世住持鳳林承章が石州流の祖、大和(奈良県)小泉藩主片桐貞昌の茶会に招かれたおり、土産に贈られ鹿苑寺に伝来したました。この事跡は鳳林の日記『隔蓂記』に記録されてお、寛文7(1667)年2月29日、鳳林は大和小泉の慈光院を訪れ、茶の湯や奈良見物を楽しんだ、とあります。

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