知る・学ぶ

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翠緑軒坂井弘風さん死去
尾州有楽流を次代につなぐ
相伝の点前 孤塁守る

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茶道尾州有楽流の継承者、翠緑軒坂井弘風(すいりょくけん・さかいこうふう、本名・坂井弘子=ひろこ=)師が2024年7月下旬死去しました。満98歳でした。葬儀は親族、関係者によって7月27日営まれました。喪主は長男、坂井聖兒(さかい・せいじ)さん。

1925年名古屋生まれの坂井師は、尾張藩元藩士の娘、緑昌庵加納昌(1963年死去、享年93)に師事し尾州有楽流の相伝を受けました。流祖織田有楽斎より四百年以上、師弟相伝で連綿と続く有楽流茶道の本流の系譜を引き、江戸時代は尾張徳川家の茶道として重用された歴史を有します。昭和後期から平成の時代、複数いた有楽流継承者が亡くなったり仲間が茶の湯から離れたりする中、孤塁を守り、ひとり有楽流の点前の保存に努めていたところ、中日新聞の報道で脚光を浴びて再興機運が到来。2003年より、新たに結成された「有楽流如翠会」の代表として点前を次代につなぎました。

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(写真は、名古屋市守山区の自宅稽古場での初釜風景。左は坂井師、右は長谷義隆さん)
91歳の時に右大腿骨の骨折で入院。以後、入院・入所生活を送り、お茶の稽古日には名古屋市守山区の自宅兼稽古場に出向いて、稽古の様子を見守り、社中の精神的な支柱になっていました。しかし、コロナ禍により2020年3月から坂井師は外出ができなくなり、主を失った稽古場は閉じて事実上解散状態となっています。ただ、坂井師の最大の願いだった有楽流の点前をつなぎ、名門復活を遂げるという有楽流復興の初志は、長谷義隆さんが主宰する有楽流拾穂園(愛知県稲沢市)や首都圏在住の門弟らに受け継がれております。
先人から受け継いだい歴史由緒ある点前を、誰に頼ることなく孤立無援のなか、師匠からの筆写伝授本だけでなく非公開伝書を含めて有楽流伝書を探究し、しっかり守った強い意志と功績は、もっと評価されるべきでしょう。