拾穂日乗〜空蝉と思いきや〜
蝉の殻 いのちの爪痕 微動だに
天の底が抜けたような土砂降りが去った、夏のゆうまぐれ。ふと、茶室の雪見障子越しに外を見やると、土間びさしを支える柱に、何か虫のようなものが留まっていました。なんだろう。障子を開けて、土間に下りたってみると、蝉の抜け殻のよう。おやおや、よく見ると、目がギョロ。甲殻の内もリンリン。なんと、生きている脱皮前の蝉でした。
庭の木々や石灯籠に上って羽化した後の、空蝉(うつせみ)は時々見かけますが、ひさしの内で見かけたのは、初めてです。夕方、にわかに空がかき曇り、滝水のように雨が降っていたから、土中から這い出た蝉は、やむなく雨避け。土間に緊急避難したのでしょう。
軒下での羽化は滅多にない観察チャンスです。でも、固まったまま、身じろぎもしない蝉は、何かいたいけです。緊急避難先で、面白半分に観察にさらされるのも気の毒か。そう思ううち、夜のとばりが下りてきました。
翌朝、土間の柱を見ると、よかった。無事脱皮したようです。抜け殻がありました。柱の表皮の亀裂に爪を立てて、とまった位置をよく観察すると、昨夜と寸分違わず同じ位置。同じ姿勢のまま。微動だにしない抜け殻に、蝉の不動の意思が宿っているように感じられます。
空蝉(うつせみ)は古来、むなしいさま、はかないさまの例えとして使われてきました。魂の抜け殻のように感じ取られてきたのでしょうが、今回、思わず羽化前とその後を観察し、蝉への見方がちょっと変わりました。空蝉、これは新たな生命を生むための痕跡なのだ、と。
蝉の殻 いのちの爪痕 微動だに 義隆