知的興奮「和歌を読む」
日比野浩信さん話し・指導上手
「阿弥の会」大盛況
茶掛の和歌を読むためのイロハを学ぶそんなハウツーものの講習会と思いきや、日本の文字の起源に始まって「百人一首の撰者は藤原定家ではない」とする最新の国文学研究のトレンドまで、知的好奇心を大いに触発するセミナーでした。2024年2月3日、名古屋市中区錦2丁目、ぎゃらり壷中天 で開かれた「古文書を読む会~変体仮名で和歌を読む」。講師の国文学者日比野浩信さんが話題豊かに、しかも変体かなの読み方実践はきっちり抑える、話し上手、指導上手ぶりで受講生を魅了しました。会場はぎゅうぎゅう、好評につき4月にも続編があるそうです。
新古美術を商う一方で読書家、書家として知られる壺中天主人、服部清人さんの関心が赴くまま、ツテを頼って各界の第一線で活動する講師を招いて開く、同店名物セミナー「阿弥の会」第13講。
日比野さんは、和歌文学研究の第一人者、故・久曽神昇さんの愛弟子。多くの編著・共著があり『久迩宮家旧蔵 俊頼無名抄の研究』『陽明文庫本袋草紙と研究』『志香須賀文庫蔵 顕秘抄』『校本和歌一字抄 付索引・資料』『古筆切影印解説 Ⅳ十三代集編』『五代集歌枕』など、国文学研究に着実に成果を上げている篤学の人です。ただ、人文科学系の研究ポストが減るご時世、常勤ポストに恵まれず、非常勤講師のままという境遇は、傍目にもお気の毒です。
しかし、お話はいたって明快。専門知識を噛み砕いて、ひらがなの起源を軽妙に解説。文字がなかった古代日本は、中国から伝来した漢字をもとにひらがなを工夫したことを紹介しました。漢字で表されていた文章は画数が多く面倒だったため、省略して書くようになって生まれたカタカナとひらがなのルーツを語りました。
茶掛の和歌を読めるようになる秘訣として、読みずらい変体かなは前後の文脈から類推することと、百人一首に始まり、古今和歌集、和漢朗詠集を誦じるまで覚えれば、たいがいは類推、記憶が働く、と教えてくれました。
さらには、例えば900年代初期に成立した古今和歌集の写本はあまたあり、鎌倉時代や室町時代の古今集断簡はありふれていてあまり重視されないが、同じ鎌倉時代でも和歌の作者や編纂が同じ時代で物であれば、文学的な価値があると指摘しました。
天智天皇から順徳院まで100人の歌を1首ずつ集めた『百人一首』は、鎌倉時代前期の歌人・藤原定家(1162~1241年)が撰者となって作ったというのが、通説ですが、田渕句美子・早稲田大教授が疑問を呈する論文が刊行されて、大いに注目されているといいます。では百人一首は誰が作ったのでしょう。鎌倉-南北朝時代の歌人・頓阿(とんあ)(1289~1372年)の可能性があり、古典文学といえども、研究は常にアップデートされていると語りました。
古筆は平安時代から鎌倉時代にかけての日本人の書を指します。古筆の多くは、もとは巻子本や冊子本だったのが、室町時代以降の茶道の流行を背景に、「古筆切」と呼ばれる一葉数行から十行程度の断簡に切断され、拡散しました。古筆切は、軸装されて茶席の掛け軸になり、また手鑑に貼り合わせて鑑賞に供されました。中でも、貴族趣味の華麗な料紙に書かれた古筆切は、贈答品として珍重されました。古筆愛好の流行は、古典籍の破損を招いた反面、戦乱、災害があっても、分散されたため全損は免れて、貴重資料の断片を今日に伝えることになりました。
次回の阿弥の会は特別講。増田孝さんが「松花堂昭乗と尾張徳川家」をテーマに、6月9日(日)13時より、名古屋・八事山興正寺で。会費は後日発表。定員100名。
お申込みは ぎゃらり壷中天まで
〒460-0003 名古屋市中区錦2-8-12
TEL・FAX 052-203-9703
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