伊藤宗観さん死去
裏千家業躰・名誉教授 満87歳
重厚、品格ある茶風
名古屋茶道界 巨星墜つ
裏千家業躰(ぎょうてい)、名誉教授で名古屋茶道界を長年リードした伊藤宗観さん(本名・伊藤勸次さん)が2022年9月25日、脳梗塞のため死去しました。享年88(満87歳)。通夜・告別式は近親者のみで営みます。名古屋市緑区出身。喪主は次男伊藤徳和さん。香典の儀は固く辞退されます。自宅は愛知県海部郡大治町花常。
なお、有縁の方については、26日午後6時からの通夜式、27日午前11時からの告別式の前の2時間に限って、葬儀場の愛昇殿レクストの杜 太閤通(〒453-0016 名古屋市中村区竹橋町36-19. 電話 052-453-0004. 地下鉄桜通線「中村区役所」駅 2番出口)で焼香を受け付けます。
伊藤宗観さんは、流儀に立脚しつつも流儀に終始しない自在な茶風で、吟味した茶器を適材適所に配し、雅味ある品位高い取り合わせで、多くの人たちを魅了しました。家元直結の師範である業躰として長年、国内外で裏千家茶道の指導にあたるとともに、地元名古屋の文化センターの茶道講座をいくつも務めました。自宅教場では、妻の裏千家正教授伊藤宗房(本名・あさ子)さんともに多くの後進を育成し、茶道文化の振興に貢献しました。
茶人として、名古屋地区を代表する月釜・茶会の最重要の席主の1人でした。熱田神宮、八事興正寺、豊国神社、真清田神社、木曜会、知足会、吉祥会、東海茶道連盟、さらに各文化センター主催の大茶会、チャリティー茶会など数々の席主を務めており、伊藤さんの死去は名古屋茶道界のみならず、日本の茶道にとって大きな打撃です。
伊藤さんは15年前、茶家である伊藤家の次代を担う跡取り息子を突然死で失うも、孫が育つまでは頑張ると、老夫妻と娘、嫡男の嫁のファミリー4人で家を盛り立ててきました。晩年は、腎不全などの持病を抱えながらも、茶人として最後まで現役を貫きました。妻宗房さんによると、お孫さんは伊藤家の茶を継ぐ決意を固め、大学卒業後のこの春、茶道専門学校の裏千家学園に入学。茶道研鑽の道に進んでいます。
WEB茶美会の本部がある有楽流拾穂園には2020年11月8日、口切りの茶事に正客として、妻宗房さん、親友の数寄茶人の亀井猛さん(今年1月死去)らとともに来園。求めに応じて短冊に「一期一会の心を心として」と揮毫するとともに、よほど好印象を持たれたのか、後日茶事の取り合わせを激賞、励ます内容を毛筆で認めたお手紙を頂戴しました。書状は長さ2メートルにも及ぶ、長大なものでした。
2022年5月12日、名古屋市北区の料亭志ら玉で開かれた木曜会五月釜が最後の席主となりました。ロシアによるウクライナ侵攻が続く中、世界平和を祈るを思いを、季節感を大切にする風流韻事にどう折り込むのか。一つのありようを示す重厚かつ品位ある取り合わせで、円熟の茶境を披露されました。伊藤さんの茶会はどの会も、裏千家の本流をゆく茶器を軸に、茶の美を追求する見事な取り合わせでした。茶味あふれる茶花の数々を堪能しました。
WEB茶美会編集長の長谷は、共通の友人だった亀井猛さんを追善する一会を同じ木曜会の卯月釜で営みました。席中で長谷を見つけた伊藤さんは、席を後にしようとするところを呼び止めて、水屋の奥に案内してくれました。
「長谷さんが亀井さんの追善を立派にしてくれて嬉しかった。私は水屋に亀ちゃんの遺影を飾って供茶していますよ」と。
名古屋茶道界では今年、1月7日に数寄茶人亀井猛さんが満82歳で、3月31日には尾州久田流第五代家元の下村瑞晃さんが満91歳で死去。3人はともに昭和、平成、令和の時代の茶どころ名古屋をけん引した茶人でした。
奇しくも、長谷は伊藤さんが体調不良で降板した來る10月2日の名古屋城、三英傑茶会の秀吉席を引き受け、席主を務めることになりました。この大切な代役を受けることをご報告した際、伊藤さんはウンウンとうなづいて微笑んでいました。
伊藤さんの死去は、名古屋茶道界、ひいては日本茶道の巨星墜つの感、深いものがあります。
合掌
=WEB茶美会編集長、有楽流拾穂園主 長谷義隆