知る・学ぶ

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大須に里帰り 国宝「古事記」
若者の街に「知のアーカイブ」
古典籍の宝庫・大須文庫

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 全国でも有数の若者の街、名古屋・大須商店街。大須の中心にあり参拝客でにぎわう大須観音が、古典籍の宝庫「大須文庫」を持つ、中世日本の知のアーカイブがあることは、意外と知られていないのではないでしょうか。

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 大須観音の所蔵品は、国宝4件、重要文化財37件を含む平安から室町までの仏書、典籍類が1万5000点を数えます。中には日本最古、世界唯一という書物が多く含まれています。

IMG_5175.JPG その一つ、大須観音宝生院に伝来する現存最古の国宝写本「古事記」が2022年3月5日、所有主の大須観音(名古屋市中区)に81年ぶりに里帰りし、一日限定公開されました。古事記は日本最古の歴史書とされます。

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 1941年に東京帝室博物館(現・東京国立博物館)に寄託され、同観音が国に対して地元での保管を働きかけ93年からは名古屋市博物館が保管。最近は2017年に市博で公開されましたが、博物館外での展示は今回が初めてです。

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 古事記は寺号の「真福寺本」として知る人ぞ知る存在ですが、大須観音の名前は隠れがち。「すごいものを守り伝えてきた大須観音と大須の街に光をあてたい」と、名古屋大須ロータリークラブが大須観音、博物館、名古屋大学と企画しました。

 大須観音の古事記は、南北朝時代の1371、72年に真福寺の僧・賢瑜(ケンユ)が写しました。上・中・下全巻がそろった現存最古の写本。失われた原本の面影を宿す良本として高く評価されています。
 本書の価値を見いだしたのが、尾張藩士で本居宣長門人・稲葉通邦です。用紙を糊で貼り合わせた箇所に「執筆賢瑜俗老廿八(28)歳」「(同)廿九(29)歳」の写本した僧の名前と年齢があるのを発見。同じ賢瑜が1370(応安3)年、27歳で写した仏書『秘蔵宝鑰』を、蔵書の中から見つけ出し、本書の書写年代が判明したのです。このことは通邦は自分で書写した古事記の奥書だけに記しました。国学が盛んだった尾張藩の学芸のレベルの高さがうかがえる事績です。

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 寺の歴史は、鎌倉時代末の1320年頃、木曽川と長良川にはさまれた中州、尾張国中島郡内(美濃国とも、今の岐阜県羽島市大須付近)に、北野社が勧進された時に始まります。その神宮寺として創設されたのが真福寺です。その経蔵・蔵本は日本の三本指に入るとされ、1612年、古典籍の重要性を知る徳川家康の命により、洪水などの難を避けるべく今の地に移転しました。名古屋城下の信仰を集め大須観音として親しまれるようになりました。

 

文庫の概要は、江戸時代尾張藩の寺社奉行所や戦前の研究者らが作った蔵書目録をもとに、ほぼ把握されていますが、名大が改めて本格的な調査を2000年から始め、その成果は折々に開かれる展覧会で紹介されてきました。

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 若者でにぎわう大須のど真ん中に、汲めども尽きぬ知の宝蔵があるとは。名古屋市民ならずとも誇らしい気分です。