古流の教え①美は細部に宿る
手と口が付いた水指
炉と風炉で左右逆に
先日、名古屋市内で開かれた某茶会。注ぎ口が付いた擂り鉢「擂盆(らいぼん)」が水指として使われておりました。夏場にふさわしく、蓋を開けると、水をたたえ、涼を誘っておりました。風炉・釜との取り合わせもよく格調の高さに見とれましたが、私の中で、少しだけ違和感がありました。
水指の口が釜とは反対向きだったからです。水を沸かす釜と、水をたたえた口付き水指。どこか、ソッポを向いているようにも感じたのは、わたしだけでしょうか。
もちろん、この茶人の流儀のやり方であれば、是非もないことですが。
気になって、有楽流の茶書「貞要集」にあたってみました。織田信長の孫の武家茶人、織田貞置公の教えを弟子がまとめ、およそ三百年前に成立した茶道テキストです。
わたしは疑問があると、織田有楽斎の茶法を嗣いだ貞置公のこの茶書に立ち返って、扱いを確認するようにしております。
同書には「手と口の付けたる水指、又片口を水指に用る時は炉にては口をば我右へなして置合する、風炉には左に置なり、、、」とあり、炉と風炉では右、左、違えて置き合わせるよう記述しておりました。
家蔵の手付け片口の水指を納戸から引っ張り出し、稽古に際して風炉の点前座に貞要集の教え通りに据えてみたところ、なるほどしっくりきます。
本来、片口は水次ぎ。湯が足りなくなった釜に水を注ぐものですから、口が釜の方に向いているのは、理にかなっています。
お茶に関心のない人からしたら、左右どっちでもいいように感じるかもしれません。しかし、「美は細部に宿る」の言葉とおり、細部までこだわり抜くことによって、全体の茶の美が築かれます。細かいところまで疎かにしない、お茶とはそういうものではないでしょうか。
ネット上には、様々な江戸時代の茶書の記述を引用した茶道、茶器の扱いの解説が多くありますが、武家茶道の茶書、とりわけ桃山時代から続く古流・有楽流のテキストである貞要集に言及したものは、皆無といっていいようです。
町方茶道と武家茶道は、目指すべき頂きは同じでも、アプローチや登り方には違いがあるようです。
古流の教えには、時代を超えて、流派を超えて汲むべきものが、きっとあるかもしれません。
WEB茶美会の「知る・学ぶ」の読み物として「古流の教え」シリーズを随時、掲載してゆきます。
長谷義隆(WEB茶美会編集長、有楽流拾穂園主)