深川秀夫、輝くバレエ世界
世界雄飛の先駆け
回顧展にお宝写真・動画
あなたは、深川秀夫を知ってますか。バレエを愛し、バレエに愛された男。不世出のバレエ振付・演出家。2017年病を得て、酸素吸入器を携えながらバレエに情熱を注ぎ、2020年9月2日、73歳で永眠しました。
わたしはジャーナリストとして、彼の振付・演出バレエ作品を数多く見、インタビューもし、公演打ち上げなどで親しく話を交わしました。氏をウイットがきいた独自の作風のネオクラシックの名作バレエを多く残したバレエ作家だと高く評価してました。しかし、わたしの知る深川秀夫は一部でした。黙して語らないことの方がむしろ多かったことを思い知らされました。氏のバレエ人生を初公開の秘蔵資料でたどる回顧展「深川秀夫を想う」名古屋展が開かれ、その思いを強くしました。
1947年名古屋に生まれ、育ち、14歳で当時の越智實バレエ団で越智實に師事し、またたくまに才能を開花させた天賦のバレエダンサーでした。18〜23歳で世界最難関のヴァルナ、モスクワの両国際バレエコンクールに上位入賞を果たし、ドイツのシュツットガルト・バレエ団、バイエルン国立歌劇場バレエ団とソリスト契約し主役級として活躍。1976年には、米メトロポリタン歌劇場の米国建国200周年ガラコンサートに、バリシニコフ、マカロワら世界一流のダンサーとともに出演したほか、ロンドン、パリなど世界各地のガラ公演に出演しました。
世界のトップダンサーとして活躍し、日本人ダンサーの海外進出への道を切り拓いたパイオニアでした。
1969〜1980年の海外生活を経て、33歳で帰国。彼は輝かしいドイツ時代の伝説的な活躍をほとんど語ることなく封印。その片鱗を作品リサイタルや全幕バレエの老け役などで披露することはありましたが、全体像は埋もれたまま。死後、判明しました。国際的な活躍を記録した写真やドキュメント、動画の数々は段ボールに放り込んで倉庫にしまったままだったのです。
長く眠っていた遺品から、彼の前半生の活躍が浮き彫りになりました。空を舞い、空を切っ割くようなジャンプとピルエット。舞台写真から、観客の熱狂が伝わってきます。まさに天才ダンサーだと、遺品は物語ります。
彼が残した数多くの作品が散逸せず、作品世界の香りが失われることなく末永く上演されるよう、多くの舞台をともにしてきた友人たちが立ち上がりました。照明家の足立亘氏、舞台監督の森岡肇氏、ミュンヘン時代からの友人ピアニスト中埜ユリコ氏、そして遺族代表の深川友巳氏を中心に『深川秀夫の世界』を継承する会が発足。著作権管理と上演品質を担保する組織です。日本のバレエ作家の作品は死後、著作権管理があやふやで、再演しようと思っても作品継承者が分からず、埋もれてしまうことが課題でした。継承する会は、その課題に挑み、クリアしたようです。事実、うれしいことに、深川作品は各地のバレエ教室などの発表会、公演で続々上演され、死してなお輝きを増しているようです。
回顧展「深川秀夫を想う」名古屋展は2021年7月20、21日、名古屋・東桜のアルべホール名古屋で開催されました。舞台芸術に心血を注いだ故人の思いを受け止め、華やかでいてシックな、とてもハイセンスな会場設営でした。彼を慕うバレエダンサーたちが仕事を休んで駆けつけ、会場設営し、来客応対もしていました。
たった2日間の名古屋展でしたが、ほとんど知られていない深川秀夫の前半生の業績に光を当てる意義深い内容でした。(WEB茶美会編集長・長谷義隆)
『深川秀夫の世界』を継承する会
https://www.fukagawa-b-w.com