一器・一花・一果
八事窯の赤楽茶碗と
川村屋賀峯のよもぎ羽二重
急逝茶人をしのび
今日の一服は、名古屋の楽焼、八事窯の赤楽茶碗です。
京都生まれの初代中村道年は諸国陶業行脚の末、名古屋郊外の八事山に窯場を開きました。その陶業を受け継いだ二代道年は、八事あたりに別邸を構えた名古屋の財界数寄茶人たちと交流があり、益田鈍翁、森川如春庵らとも交わりました。
この二代道年作の赤楽は、昭和の時代、愛知県知事を6期24年務めた桑原幹根の旧蔵品です。工業県愛知の礎を築き、愛知県陶磁資料館(現在の愛知県陶磁美術館)などを建設した愛陶家でもあった政治家です。
旧知の県議の遺愛品として県議夫人から贈られたもの、と桑原が箱裏に記しております。
桑原の息子さんの妻、桑原宗翠さんは裏千家愛知第三支部の幹部として社中を率いて、よく名古屋の月釜で釜をかけていました。
何度か参席しましたが、室礼から、品のいい、きれいなものがお好きな茶人と拝察しておりました。
宗翠さんはある夏の朝、庭の草取りに出たきり、戻らないのを家族が心配して探したところ、広い庭の一角に倒れて絶命していた、そうです。70歳そこそこの急逝でした。
ご本人は、何か予兆を感じていたのでしょうか。半年も先の月釜で使う予定の茶器一揃えが、すでに風呂敷に包まれて茶室水屋に置いてあったそうです。お仲間が、涙ながらに語ったのをお聞きしました。
よほど責任感の強い方だったのだと思います。自分にもしものことがあっても、月釜に穴は開けない。そんな茶人の覚悟に、感銘を受けました。
そのお道具を用いて、追善供養の茶会が、お出入りの茶道商の茶室で、のちに開かれました。
わたしも参席しました。所属する新聞にささやかな追悼のコラムを書きました。遺族から喜ばれた、と後から茶道具商から聞きました。
どこぞのやんごとなき姫君の調度品だったのでしょう、ほかに類例を知らない小色紙サイズの古筆手鑑が、寄り付きに飾られていて、宗翠さんの愛蔵らしい趣味の高さを感じたことを思い出しました。
茶席で主客のあいさつを交わす程度の淡いお付き合いでしたが、桑原家ゆかりのこの茶碗が市中に出たとき、何か縁を感じて、求めました。
二代道年は、森川如春庵が持っていた光悦の名碗「乙御前」「時雨」を直に見て模作する機会があったのでしょう。おおいに影響され、光悦風の楽焼を得意とした、名工として知られております。
この茶碗は、釉薬の溶け具合がやわらかく、手に持った感触がよく、お茶が飲みやすい。楽焼の良さが伝わる茶碗です。
亡くなった県議から、桑原家へ。さらに変転して拙宅に。移ろう人の世のほろ苦さを秘めて、赤楽らしい華やぎが感じられます。
上菓子は、尾張一宮の名店、川村屋賀峯製。羽二重をもっとも得意とする同店らしく、よもぎ餅に羽二重の風合いを融合させた、ふんわりもちももちの上質な食感が特徴です。